2022/10/07 PTAとかなんとか
一年に一度しか回ってこない当番で、登校時のパトロールというのものがある。今月はその当番で、腕章を着けてもう一人のお母さんと二人で登校時間に近所をぐるぐると歩く。簡単だ。去年もペアの方とおしゃべりをしながら、ただただ、ぐるぐると歩いた。(これは何かの役に立っているのだろうか)と家に帰ってからモヤモヤと考えたが、一年に一度の朝の散歩だと思えばたいしたことはない。
今年も同じようにぐるぐると歩いて、もう小学校では授業が始まる時間になり、さすがに誰もいないから解散しましょうか?となったときに、朝の住宅街にぽつねんと佇む、黄色い帽子を発見した。
その子は、通学路の途中、もう誰も歩いていないというのに、ただ立ってる。ほんの少しだけ、両足をもぞもぞと揺らしながら、でも数センチすら動かず、進まず、ただ立っている。
私たちは、すわ重大任務だ!という事で、足取りが重いその子をいざない、小学校に向かった。
もうすっかり遅刻だというのに、その子は慌てる事もなく、泣いているわけでもない。そして、歩みはとても遅い。小さい歩幅で、ゆっくりと歩く。
私もそうだった
と、自分を見ているような気持ちになった。私の家は学校のごく近所だったから普通に登校はしていたけれど、この子はまるで昔の私みたいだ。デジャブみたいな懐かしさと、辛い気持ちがよみがえった。
(私はこのまま こうやっていて、どうなっちゃうんだろう)
(きっと皆は 私の事を馬鹿な子だと呆れるだろうな)
普通の子が普通に出来る事ができなくて、もぞもぞしていると周囲が気付いて話しかけてくる。でも何も言えない。(私は馬鹿な子じゃないのに)。頭の中ではぐるぐると考えがめぐっていた。
幼稚園の頃、毎朝泣く私に困り果てていた母は、家に寄った伯父さんに相談した。母がいないところで、伯父さんは腰をかがめて私に向かい合い聞く。
「どうして毎朝泣くの?」
私が何も答えないから、伯父さんは次々に質問する。
全然終わらない問答に耐えかねた私は、
「お味噌汁が熱いから」
と答えた。
大人は、「そうかそうか、お味噌汁が熱かったか」と、謎が解けて晴れ晴れとした顔をしている。やっと解放された私もホッとした。
泣くのに理由なんかなかった。
それに、お味噌汁が熱い程度の事で泣かない。
(そんなわけないじゃん) と思っていた。
学校に行けなくて、道路で立ち止まっていた子も、頭の中でぐるぐると考えが巡っていたのだろう。歩けない、進めない事も、自分でもどうにもならないし、理由なんかなかったのだろう。
でも大人は 「どうしたの?」「何があったの?」と聞く。
(何もねーよ)
そう思っていたかもしれない。
パトロールの翌日の今日は、PTAの係の打ち合わせだった。去年は一切の係を免れた私にも、とうとう回ってきてしまった。
一体どういう事なんだろうか、と思う。
お母さん同士が○○ちゃん、と呼び合ったり、LINEの登録がすでにされている状態のことだ。皆、いつのまに仲がよくなっているのだろうか。私はごく普通に過ごしてきたつもりなのに、どういうわけか、全然馴染めていないようで、もちろん○○ちゃんと呼び合うようなママ友などいない。
学生時代は、移動教室の時や、グループ分けの時、いつだってドキドキしていた。
一人になってしまわないように、友達がいない人だと思われないように。
幸い、なんとかうまくやれていたけれど、ごくたまに一人で移動するような時は、なんともないフリをして、わざと一人で歩いているように見せかけた。
授業参観の後や、今日のような打ち合わせの後に、多くの人は誰か仲が良い人と小さなグループを作って帰りを急がないのに、私はいそいそと帰り支度をする。随分な大人になったのに、あの頃の気持ちがまだ私の中にあることに驚きもする。私は とても忙しくて、群れたくない人、みたいなふりをする。小学校の廊下をスリッパで歩きながら、中学の私、高校の私が顔を出す。
私はこんなにも私のままなのに、すっかり母親だなんて。
PTAの係は、頼りになる人が何人もいるからなんとかなりそうだ。それにしても、何で皆、あんなにちゃんとしているんだろう。
まるでお姉さんを見るような目をしてしまうけれど、多分結構な皆さんが年下だ。
私はどこの時点からこうなっちゃったんだろうか。
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