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脳は再起動する?

「ばあさんの再起動?ってどうやるんだっけ。」

娘が言った言葉にも耳を疑った。

「何、ばあさんの再起動は無いやろ。」と答えると、「いや、fitbitバーサの再起動のこと。」と返された。

実はこれ、バーサの再起動の間違い、家族で健康の為、fitbitなるトラッカーを付けている、其のfitbitちゃんが環にメールやラインが入って来なくなったり、メールやラインが消せなくなったりする、其の為娘が再起動を聞いていたのだった、まあ、ばあさんも居ないし再起動も出来ないのだから、そんな事を云う訳がない。

元来聞き間違いが多い私は、スーパーで仕事していた時など聞き間違いでお客様にお叱りを受けたことも度々だった、家でも聞き間違いは日常茶飯事、娘も解っていて直ぐに聞き間違いに気づいて突っ込みを入れてくる。

「ばあさんの再起動?あったら怖いやろ、ばあさんこの頃ボケてきたから、再起動しよっかとかあったら嫌やん。」娘が言う。

「嫌やけど、再起動して元に戻るならええやん。」私も負けていない。

でも確かに其処ら辺のおばあさんが再起動で意識失っていたら絵面としては怖いものがある、余り考えたり見たりしたくない光景である、我が家の様にちょっとのことで再起動していては大変である。

自分としてはボケて再起動で直るのならその方がいい、「ちゃんとしてるやない、ご無体な。」と思っているかどうかは置いといて、人間それで動けるのであれば、年を取ってもそんな風にしたいと思う。

人間は機械では無いのでそんな風に再起動は出来ない、きっと生まれてから過ごしてきた全ての時間を脳に刻み込んで、その中から選択したものだけを覚えていて、そうでないものを忘れてしまうのだ。

その時に人は自由に覚えていたい事を自分では選択できることは無い、脳が覚えていたい事だけを忘れないでいるのだと思う。

今脳に電極を埋め込みインターネット経由で接続すると信号が送られ脳の考えが送られるようになるという実験が進められているそうだ、これからはボケてしまった人たちの脳に信号を送って日常生活が出来るようになるかもしれないが、そんな社会がいいかと言えば、否である。

私はボケたら迷惑をかけるかもしれないが、脳が選択した自身の記憶や感情を自分で使って生きていきたいと思う。

ボケて無くしていきつつある記憶や感情を拾い集めながら動けなくなっても自己表現をして生きていきたいと思う。

生きていけるんじゃないかと思っている。

多分。



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