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頑張れ頑張らない私。

今頑張らないを頑張っている。

どういう事かと言うと、子供の頃から親に頑張れば成果が出るような気にさせられていた、それが正しい事だと思っていたふしがある。

ところが自分が大人に成って子供も育てて、結婚も、仕事も、子育ても其れなりに頑張ってきたとは思うが、それが何か成果になったかと考えるに、大して大きな成果には成っていないように感じている。

子供が小さい時自分も頑張ったが、子供にも頑張れと言って可哀そうなことを言ってしまったのが、今の自分である。

勿論、頑張った分の何かはあったし、その甲斐あって今の自分がいるのだと思っているのだが、頑張って良かったかと聞かれたら、ノンと答えてしまうかも知れない。

生きてゆく事はそれだけで頑張る事だから、それ以上に頑張ってみても疲れてしまう、それが鬱の原因になる事もある。

そんなこんなで、今自分が考えていることは頑張れ頑張らない私って事。

人生は長い、何時も頑張っていることは疲れるだけ、サマセット・モーム・は『人間の絆』の中で、「人生という広大な経糸を考えてみれば、人はその思い思いの好みに従って気に入った撚糸を選び好きな絵模様を織り出していけばいいわけだ。」と書いている。

今迄、私は既存の価値観で頑張る生き方を選んできたのだが、人生も折り返してきて、そんな価値観に縛られず、自由に織る出すことを愉しまなければきっと人生の最後には後悔が残ってしまう。

これは自分だけではなく全ての人に当てはまる事じゃ無いのかな?

随分自由に生きてきた自分でもこうなのだから、会社や結婚で縛られた人はもっと思うんじゃないのかと察している。

出来ない事も多いだろうが、自分の布の絵模様は自分しかできないし、それを満足するのも自分だけのものである。

これからでも制約の中にありながらも、好きな糸で好きな布に満足のいく絵模様を描いていこう、そんな風に思って頑張れ頑張らない私となってきている。

長くて短い人生で本当に自分が満足できる絵模様を作っていけたら、最高にいい気持ちで、幸せに生涯を終わる事が出来るんじゃないかと思って、頑張らず、愉しく、ゆっくり、ゆったりと、制約の中にあっても自由に人生という布に好きな絵を織っていこうと思っている。

出来るんじゃないかな?

多分。



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