【番外編・その❷】思い出の地、大阪。(2011年10月/秀人)


台風が来ているらしく、やけに湿度が高い。

秀人は、季節外のあまりの暑さにスーツのジャケットを脱ぎ捨て
オフィス椅子に肩を預けてウトウトとしていた。

大阪の社員寮は、東京とは違って徒歩圏内ではない為、いちいち帰るのも面倒で、ここ数日はずっとオフィスに寝泊まりしている。

だけど、熟睡出来ない感はやっぱり否めない。
眠気をおさめるために飲むブラックの珈琲は
日に日に杯数が増えている。

仕事終わりに一階のコンビニで買う缶ビールの本数も。

やれやれ。そのうち腹が出てくるぞ、と自分を叱咤する。

"ちゃんとした生活しないとなー"

そう独り言を言いながら、見つめた先のパソコンのモニターに西日が反射したのが 眩しくて、
秀人は思わず目を逸らした。

机上の携帯に、受信メール。

卓さんから、だ。


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件名:やってるか
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お疲れ。
大阪オフィスも今月で最後やな。
しっかり気張れよ!

p.s
仕事も恋も、悔いのないように!行動あるのみや!


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"なんやこれ、仕事も恋も、悔いのないようにって…さ"

そう呟いたが、
何を意図しているのかはわからなくもない。
直接的に言わずにオブラートに包んだ表現なのは、卓さんなりの優しさなんだろうな。

ふ、と口元が緩んだ 次の瞬間、秀人の耳をつんざくように けたたましく携帯がなる。

"…はい。"


"秀人さん、トラブルっす、
ちょっと来てもらえませんか?"

"え、なに。"

"お客さん怒らせてしまって。
社長だせ、って。今エライことに"

"んー、、、いくわ"

一旦、緩んだ口元はそれ以前よりぐっと引き締まったようになる。

立ち上げたばかりのヒヨッコ会社だからといっても、毎日毎日トラブル続きで嫌になってしまいそうだ。

だけど、そうも言ってられないか…とシャツの襟を正して

眠い目をこすりながら、秀人は、現場に向かった。

・・・

窓からの風景に 見覚えがある。
あれ、ここって、なんやったっけ。

新しいクライアントのところで散々平謝りした    その後は、オフィスに戻る気になれなかった。

今日のは、強烈だった。
百戦錬磨の秀人にだってなかなかこたえる時がある。

息抜きをしよう、と自動的に
駅前の、小洒落た喫茶店に入る。

店員にオーダーを通してから ふと窓を見やって、しばらくしてやっと、あぁ、と息を漏らした。

思いだした。

サヨさんの引越しの手伝いで、みんなと来たんだ。
お礼に、ここのコーヒーゼリーが美味しいからって連れてこられたのに、残り1つしかなかったから俺は結局、今日と同じようにブラック珈琲を頼んだ気がする。

あれから、
もう何年経った…?

一緒に仕事をしていたあの頃はまだまだペーペーでお金もなくて
だからか サヨさん、よくご飯 奢ってくれたよな。

いつも気にかけてくれる優しい先輩でしかなかったのに。

いつから、好きになったんだろう。

よく、思い出せない。

一緒にいる時間が楽しすぎてあっという間だった、という記憶が 朧げにあるだけだ。

人の話を聞くのが上手だった。
いつもベラベラと興味のあることを喋り、
そのあとのサヨさんの新鮮な返答を聞くのが好きだった。
俺にはない発想とセンスがあって驚きの連続で、全然飽きなかった。

確か、引越しの日。

アパートのドアに椅子の足をぶつけた俺に苦笑しながら
"もう〜、秀人!ちゃんとドアと椅子に謝っといてや!"…とか、言っていたっけ。

サヨさんの大阪弁も、他の人のそれより柔らかくて、俺は好きだった。

懐かしさに、急に逢いたい気持ちが込み上げてくる。

そうか、ここから サヨさん家は近いのか。

"逢おうと思えば、いつでも逢えるやんけ "という
卓の言葉が蘇る。

"すみません、お会計"

無意識に 声がそう発していた。

記憶を辿りながら、住宅街の路地を進んで
ついに、アパートの前まで来てしまう。

人ん家なんてあんまり覚えないやつが、意外と覚えてたもんだな、と 逆に呆れた気持ちになる。

どうしたものか、と数秒 周りをウロウロしてから
秀人は、意を決して、階段を4段目まで登った。

…が。

ドアの前に立ってすぐ、ここまで来たことを後悔する。

急に、風向きが変わったような気がした。

チャイムを鳴らそうと上げた右手が震え出し、
心臓の鼓動に合わせてか身体が順番に、強張ってくる。

嘘だろ。

こんなドアひとつから、
サヨさんの雰囲気を感じる、なんて。

なんとか平常心を保とうとするが、出来ない。
頭の中がぐちゃぐちゃし始める。

ちょっと、待てよ、落ち着け。

今更、こんなところまで来て
なんて声をかけるつもりなんだ?

サヨさんは新しい生活を始めているのに、思いがけないヤツが突然 家に来るなんてさ、

そんなの迷惑だろう。

…そうだよ。

ていうか、もしかしたらもうここには住んでない可能性だってあるじゃないか。

…そうだよ。

そうなりゃ それこそ、ただの赤っ恥だ。


やめよう。こんなことは。

…無理だ。

額の汗をぶっきらぼうに拭い、心の乱れを落ち着かせる為の深呼吸を1つして、

秀人は、足早にそこを立ち去った。

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