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あと余命半年と言われたら。父を思い、後悔しない生き方を考える。

「39歳」というNetflixの韓国ドラマをみています。
39歳の独身女性3人の友情と恋愛のストーリーです。

テレビを見る時間がほとんどとれないので、かなり小刻みに観ていて、ちょうど今8話目。

そのうちの1人の女性が末期のすい臓がんになり生存率0.8%と宣告されます。
俳優の指導者である彼女は、残りの人生でやりたいことって何だろうと考え、自分も本当は演じる側にまわりたかったことを思い出し、オーディションにチャレンジすることに。

そして見事に合格!
その表情がなんとも嬉しそうで、グーっとこみ上げるものがありました。
(←8話目は今ココ)


なぜこの話をnoteにつづろうと思ったかというと、実は私の父もすい臓がんで亡くなりました。

健康診断で再検査となり、精密検査を受けたところ、すい臓がんが発覚。
その時点で半年生存率20%と言われました。


すい臓は隠れた臓器とも言われ、健康診断を毎年受けていたとしても、腫瘍を見つけるのが難しく、発覚した時には、父のように進行しているケースが多いそうです。


真面目で多趣味だった父

父はまだ60歳になったばかりでした。
まだまだ元気だったので、最初は受け入れることがなかなかできませんでした。


父はすごく真面目でした。
仕事はかなりきつかったと思うのですが、40年近く勤めた会社にほとんど休まず(私の記憶では痛風で片手ぐらいの日数しか休んだことがない)、
朝5時代には家を出て、誰よりも早く出勤し、カギをあける。
それが日課でした。


誰に頼まれたわけでもなく、自主的にやっていたようです。
父が亡くなった後、母と会社へ訪問し、鍵当番のノートをみせてもらうと、毎朝、父がカギをあけたというサインが書かれており、そのノートが何冊もあって、それを見て、涙しました。


父は多趣味でした。
ダイビングが好きで、若い頃は沖縄の離島でよくもぐっていたようです。家にはダイビング用品一式がありました。
家族でも海にいったときは素潜りもよくしていたなぁ。

ボクシングもしていました。
私が小さい頃はまだ父も勢いがあったのか、叱られるときは叩かれることがあり、その時は手を抜いているつもりでも結構痛かった記憶があります。。


バンドマンでした。
ドラムをやっていて、昔、ジュリー(沢田研二)のバックで演奏したこともあるようで、母が(笑)自慢げに話していました。
車を運転しながら、信号待ちでは、人差し指をスティック代わりに、ハンドルをたたいて、歌いながらリズムをとっていた後ろ姿が印象的です。


音楽も大好きでした。
洋楽全般、ポップ、ロック、クラシックなんでも聞いていました。
父の葬儀にはお別れの曲として、プロコル・ハルムの『青い影』という曲をかけました。
車の中でBGMとしてよく聴いており、父と言えば、という曲の中の1つです。


最後にはまっていたのはバイクと古着でした。
もうすぐ60代に突入するという前に、バイクの免許を取りに行くと言い出し、家族で反対した記憶があります。
週末には、古着屋さんを見に行ったり、バイクで遠くまでドライブに行き、いろんな景色を写真にとってかえってくる。
とても楽しそうでした。


こうやって書いてみると、やんちゃな人のようにも見えますが(汗)、めちゃくちゃ物静かでした。
実はアンティークや骨とう品を集める趣味もあり、その趣味に理解できない母とよくケンカになったのは、ここだけの話ですが・・。
その数々を飾った喫茶店をひらき、コーヒーを淹れることが夢でした。
退職したら、いつかできたらいいなと考えていたのだと思います。


余命宣告を受けて

余命宣告を受けた後、抗がん剤治療を選択した父は腹水に苦しみました。
お腹に妊婦さんのように水がたまり、動くことも食べることもしんどそうで、治療をすることでガンが急速に悪化しているようにも感じ、見ている家族も苦しかったです。
それでも仕事を休みたくない、と最後まで真面目な一面をみせていました。


動けるうちにと私たち家族は、父と大好きな沖縄にいきました。
苦しそうにしながらも楽しそうにしてくれていて、本当に行けてよかったです。
きれいな海もみれて、私も沖縄が大好きになりました。



その後もキャンプに行きました。
その時ですでに余命宣告を受けて半年が経っていました。
父がバイクで下見をしていたきれいな景色が見れるポイントを、家族で車でまわりました。


一緒にお出かけできたのはこれが最後です。
余命宣告を受けてから9か月後、母との結婚記念日の日に、母にみまもられながら、その日にあわせたかのように父は息を引き取りました。
亡くなる前日まで最後の意地をみせ、一人でトイレに行っていたのがとてもかっこよかったです。


後悔しない生き方とは

父が後悔していることがあるのかどうかはわかりません。
けれど、やりたいと思ったら、先延ばしせずに、すぐにやっていた父は思えば行動力があったのだなと今思います。
そして、まわりになんと言われようと、世間体や常識ではなく、自分で決めて、やっていた父の人生に後悔はなかったのかもしれません。


そして家族やまわりの人をとても大切にしてくれました。何度も離婚危機を乗り越え、最後の最後までどうなるか分からない両親の夫婦関係でしたが、父は母のことがなんだかんだ好きだったようで。
母のことももちろん、私たち子供たちのことも、いつも尊重してくれました。

私が何か決断した時に、父に反対されたことはほとんどありませんでした。
きっと、父もやりたいことをやってきたからこそ、私にもやりたいように自分の人生を歩んでほしいと思っていてくれたのだと、今は思います。



もし後悔があるとしたら、喫茶店。
アンティークや骨とう品をお披露目しながら、趣味のあうお客さまとコーヒー飲みながら語りたかったかなと。
そのことを思うと、命や時間には限りあることを父が身をもって教えているような気がします。


私もそうした父の無言の遺言を受け取り、私も後悔しない生き方をしたいと改めて思うのでした。


最後までお読みいただきありがとうございました!





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