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家族だから出来る事、出来ない事

今日は、ひだまり誰でも認知症カフェで

「家族代行サービス」について少しお話しする時間を頂きました

人は一人だけでは生きられない 

例えば、生まれるときはお母さんの体力と 取り上げてくれる産婦人科医や助産師さんのお世話になる

ご飯を食べる その食べ物は食材を作った人が居る

「絶対何にも、誰にも世話にならない」そう決めている人も

いくら「野垂れ死にするから放ってくれ」と言っても

結果、野垂れ死にの先には誰かが遺体を安置したり火葬したり遺骨を保管したりするし死亡届も誰かが出す

人は自分一人だけではどうにもならない事が沢山有るんだって事を知らないと

一人の人が生まれて死ぬ 膨大な人や物に触れている

そこで「自分」と言う生き物を大切にしつつも「触れてきた人、物、環境」にも感謝をしたり認めあったり 出来ることを分け合ったりする事はとても大切なことだと思う

長くなってしまったけれど「自助・互助・共助・公序」のバランスは、  人それぞれ

自助の中にあった「家族で助け合う」風潮は現代の社会ではとても難しい    核家族と言う言葉が使われ始めてもう何十年も経ち、本当の意味でその核家族が「家族の中で実は解決できない事だらけ」になっている今、「家族なのにやらない」なのではなく「家族だからって出来ないことだってある」を認識しないと「個人」への負担が余りにも大きくなりすぎて行く

家族代行は今出来る事の序章で 結局は「互助」はやっぱり重要で「分け合って行く」事が重要と人が気づいていくよう課題を整理して表出する方法を学んで実行したいと 思うわけでした 

寒いなあ それにしても 今日も寒いです

2023年3月
学びの結果
互助ではなく
自助
分けあいは
自助と学びました


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