親子、夫婦の気持ちのすれ違い。鎮静化する場合としない場合。

こんなタイトルで書くと、すぐさま怒られそうな気もしますが、気が付いた重要な事。。。もしお時間が有れば、読んでみてださい。

コロナ禍の、更に「緊急事態宣言真っ最中」の時期。私達のスペースひだまりの中の認知症対応型デイサービスはデイサービスの通常営業を基本、一時休止して訪問型サービスを行ったりしました。

訪問する=ご家族とも良く話し、ご家族とご本人の日常に触れていく事が出来る。とても良い機会でも在りました。ほぼ、通常営業に戻してからも、家族の方の支援もご本人支援とは別途考えなきゃいけないと、今までの介護職人生ずっと思い試行錯誤して来たことを、ひっそりと再開した認知症カフェをはじめとして(10月からはfacebookでイベントも立ててやります ひっそりじゃなく)更に試行錯誤しながら、行う運びに。

自粛期間と言われた時期には、日本中の様々なところで「家族と過ごす」がテーマとなりました。

現代社会では、普段家族総員で一緒の時間が取れない家族にとって一緒時間は大事で良い事も沢山会った。。。けれど実は家族の課題も浮き彫りになったと言う家族も多かったはず。

家族でそれぞれの人格を認める。膝を突き合わせて話す。目にしないようにしていた現実を毎日見る。。。課題、沢山出てきたって、老若男女様々にSNSで発信されていました。コロナ禍の社会問題として取り上げている記事も多く見かけたけれど、一人の人として、家族の一人として、気づいてしまった出来事にこの先どう対応していくのか。

社会も、この先どう変化していくのか?先が見えないのが現実と言う状況下。どこへ行くのか…。

そんな中でこの前、ふとテレビを観ていたら、まだ高校生の芦田愛菜ちゃんが、凄い哲学的な考えを披露していたhttps://news.yahoo.co.jp/articles/470bbca5c91424c99fedc99a018eb683c4d95806

芦田愛菜「その人を信じているのではなく、自分が理想とすることに期待しているのではないか。だから期待とは違うことがあると裏切られたと思うけど、その人が裏切ったわけではなく、見えていないところが出てきた。それを受け入れられるかが大事ではないかと思いました」

グッときました。恐らく愛菜ちゃんは他人と自分の距離や関係性について話していたと思いましたが、これ、一番身近な家族に置き換えれば家族の中の色々な事を考え、そして、大事な家族の本質をどうだいじにするか?に向き合えるのではないかな・・・って思います。 家族って近すぎるし、ましてや三つ子の魂百まで(インナーチャイルド)を解放できていない大人ってたくさんいると思うけれど、芦田愛菜ちゃんの哲学的発言から学んで、思いふけって大切にする本質は何か?を、この秋の夜長に考えたり、話したりしてはどうでしょう。 

こんな事に気が付ければね 鎮静化するか?しないか? もちろん、いちど鎮静化しても、燻ぶった炎は残っている それも、当たり前。だって人間だもの。そして、そんな簡単に哲学できないのが、家族だったりするのだから。 

まあ、いいんじゃないですか。私の尊敬する人を取り巻く皆様の最近流行りのその方のキャッチコピー「まあ、いいんじゃないですか?」それも、鎮静剤になっちゃうかも・・・(笑)

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