見出し画像

しろくまのたま子

プロローグ

かもめが鳴いている。
近くで羽ばたく音が聴こえる。
そうだ、昨日はこの三浦海岸の岸壁近くでテントを張ったんだった。
「バサバサバサ」風がテントを撫でる。
たま子はそうっと目を開けた。
オリーブ色のテントに日が差すのが目に入った。
テントの中にいても潮の香りがする。
「よく寝たー」たま子はシュラフから這い出ると、テントの入り口のチャックを開けた。その瞬間、あまりの眩しさに目をしかめた。
「いい天気!」誰もいない時のたま子は目を輝かして独り言も言う。
いつもは仕事に追われて目を輝かせることも少ない。

たま子はしろくま、キャンプ好きなしろくま。息子のたまおが小さい時は、いつも2人で電車に乗ってキャンプに出かけてたものだ。
今はもうたまおは自分の世界を作るような年齢になり、たま子は1人でキャンプすることが増えた。
1人分の荷物、1人分の食料、ひとつだけのテント。

1人分をザックに詰め込んでお気に入りの場所でキャンプをする。
たま子はしろくまだから、海が好き。
いつの間にか人間に紛れて働くようになった。
人間は優しい。
たま子がしろくまでも仕事をくれた。
たま子の仕事はトンカツを揚げること。
毎日毎日トンカツを油で揚げる。
白い毛に油の匂いが付くけど、家に帰ってシャワーで洗い流せばいい匂いになる。

夜は晩酌をしながら次のキャンプの計画を練る。
やっぱり次も海がいい。
しろくまの本能が海を見たいと訴えかける。

「メシは?」
たまおが部屋から出てきた。
「お鍋にまるごとキャベツのひき肉煮込み入ってるから」
たま子の得意料理はキャベツまるごと使った煮込み料理だ。
真ん中をくり抜いて下味をつけたひき肉を詰め込んで煮込む。
この家の人気メニューだ。
「お」
たまおがひと言、はにかみながら返事をした。
思春期のたまおにとって、母親であるたま子に話しかけるのは抵抗があるみたいだ。
それでも大好物が食べられるとなると、つい顔に出るのだろう。

たまおももう小さな子供じゃないので、作ってさえおけば、勝手に食べるだろう。
いつの間にかそう思えるようになった。
初めは寂しかったが、たま子もいくらか子離れしてきたのだろう。

さて、次のキャンプの計画練りに戻ろう。
たま子は人に紛れて生活してるが、やはり知らない人は驚くらしい。
キャンプ場でジロジロ見られることもしばしばだ。
落ち着かないのでいつの間にか、誰もいない海岸でキャンプをすることが増えた。
たまに先客がいる場合がある。
だがしかし、こういう場所でキャンプをするのは、たま子と似たタイプなので、あまり人と関わらないで過ごしたいのか、大抵はこちらに無関心を装ってくれるので、たま子の大切な時間は保たれる。

「ちょうど今は春なので、桜の木がある所もいいな」
場所が決まらないので、あとはとりあえずたま子ルーム(押し入れの中)で考えるとしよう。
たま子はなぜか狭い所が好きだ。
しろくまは日本の熊と違い、穴の中で冬眠はしない。
なのになぜかたま子は狭い所が好きだ。

押し入れを改造した通称「たま子ルーム」に入った。
ふと、胸が大きくてクビレがあって美人で困る人生に憧れる人間の女の人について考える。
たま子は白い毛で覆われている自分の容姿が好きだ。
人間の男性にはモテないが、子どもにはモテる。
そう言えば、そろそろ商店街の桜になる季節だ。
たま子は仮装が好きなので、桜の季節になるとお店で桜の仮装をする。
これが大人気で、長年続けている。

イメージ画像

商店街ではたま子がしろくまでも誰も気にしない。
とてもいい街だ。
「今年もやるぞ!」
なんだか楽しくなってきた。
今夜はそろそろ寝るとしよう。
桜の木の下でキャンプをしてる夢でも見ながら・・・。

電車が駅のホームに滑り込む。
たま子は何度も来たこの駅に降り立った。
深呼吸するとわずかに潮の香りがした。
海の方から風が吹いているせいかもしれない。
「あと少し」小さく呟くと重たいキャリーを引き、歩き始めた。
ここから30分歩くと海岸沿いに出る。
通い慣れたこの道を歩いている時がたまらなく楽しい。
歩き始めて10分もすると、じんわり汗が浮いてきた。
たま子はしろくまなので、とても暑がりだ。
それでもキャンプの為なら我慢して歩くのだ。
夏にはもっと大変になる。
まだこの程度の暑さなら我慢できるというものだ。

歩き始めて20分、海が見えてきた。
さぁ、ここからが大変だ。
回り道するとなだらかな道があるのだが、たま子は若干せっかちな性格なので、急勾配の近道を下っていく。
大きな荷物とともに転がり落ちそうになりながら何とか降り立った。

今日は少し風が強いが、今のたま子には心地よい。
たま子の白い体毛が風に揺れる。

設営し一息つく。
これから焚き火をしながら、適当にダラダラ自分の為だけに食事を作る。
まず、長葱の丸焼きをする為に、焚き火台に網をのせる。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?