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悩みを解決するための自己流内観法

果たして私に悩んでいなかったことはあっただろうか。全く悩みのない瞬間というのは、砂漠に降る雨くらい、レアかもしれない。気づけば悩んでいた。悩む体力がついた。24時間悩み耐久レースも今年で40年以上。趣味=悩むこと。好きで悩んでるんだなと心から思えたのは、やっと去年のことです。

どうやって解決してます?と聞かれたのでそのときに答えたことをベースに書きました。もう、私の中では脳内でゲームをしてるみたいなものなんじゃないかなと思います。でも、悩むのはやめようと思います。非生産的だから。

悩み慣れていない方で悩む体力のない方は、気が向いたら参考にしていただけたら嬉しいです。


◆悩みを人に話すか話さないかの前提

他人に話す前にしておかなければいけない作法がある。まずは「ただただ聞いてほしい」のか、それとも「解決したい」のか、それをまずは自分で見極めておくこと。

どちらも「聞いてほしい」なので気持ち的には一緒なのだけれど、ここを自覚しているかどうかが非常に重要。もしくは話す側は無自覚でも、聞く側が見極められるかどうか。

本当はただただ聞いてほしいだけなのに解決しようとされるとものすごく腹が立つ、聞いてる方も解決してあげたいと思ったのに、なんか余計に機嫌を損ねるというような残念な結末になることが多い。そしてそういう行き違いが積み重なって、信頼関係がなくなっていく。

これはもう、いくらでもネット上に載っていることだけれど、知らない人もまだいるだろうし、知らなければ知らないだろうから、無知というのはやはり損をするなと思います。

前置きは長くなりましたが、ただ聞いてほしいだけなのであれば、然るべき人に「私は今、凹んでおります。欲しいのは正解や正論ではなく、ただただ可哀想ね、がんばったね、素敵!とベタベタに甘やかされるような、つかの間の愛情です」と自己申告の上、受け止めてもらうのが最善です。大切な人にそれをお願いできればいいけれど、そこまで自分でわかっていれば、キャバクラなどでも使ったお金を最大限、活かせると思います。

そして、ただただ慰められたいんじゃない、ちゃんと解決したいんだ、と思った場合。信頼できる相手がいるのであれば、聞いてもらった方が何十倍も早い。その場合、自分で考えられるところまでは考えて、自分が思いつく改善策をいくつかと、それをしようと思ったときにできなくなる現実的な障害、精神的な障害、どうしても守りたいもの、最悪捨ててもいいものなどを、人、状況などを踏まえて整理しておくといいと思います。というか丸投げはよくない。自分の成長にもならないし、相手にも失礼。


◆悩みの大きさは、物事の大小に比例しないことがある

本当に大変な悩みや、ひとつの決断が及ぼす影響が大きいことは、専門の信頼できるコンサルタントの方に聞いた方がいい。ただ、この場合の「本当に大変な悩み」というのは、物事の大小ではない。特に自分の思考パターンとか、どうしても抜けられない壁というものは、他人から見たらつまらないことに見えても本人にとってはどうしようもないことが多いからだ。

考えても考えても、壁をぶち破ろうと思っても横から抜けようと思っても飛び越そうと思ってもできなくて、自分の内側を見ても、人のせいにしても自分に責任があると思ってもどうしても解決できなかったらそれはもう「本当に大変な悩み」。きっかけが、小さいときに誰かに言われたたったひと言でも。自分ではよくわからない「ナニカ」でも。そういうときには人の力を借りた方がいい。

自立というのは、本当にどうしようもないときに頼れる誰かがいることで成り立つ、と誰かが言っていた。「助けて」と言える安心感があるから、立って、走れて、失敗を恐れずに動けることもある。自分の力で立つことができていても、そこにただ立つだけなら人生は拡がらない。誰にも頼らず自分のことは自分でして、というのは悪くはないけれど、人にかかる迷惑は少ないかもしれないけれど、ちょっとつまらない。


◆状況が複雑で絡む人が多いときほど、整理するために人に聞いてもらう、というのも有効

言葉にして人に話すというのは多少、物事を整理しないとできない。人の発言、行動、その理由。人と人の関係。優先順位。時系列。それぞれの人に対する思い。ひとつひとつを言葉にすることで状況が整理される。

それと同時に、それを話す自分の感覚を、誰より自分で感じることができる。話すまでは、すべてを、全員を大事にしないといけないと思っていたのに、人に話しながら「あの人のこういう想いを大事にしたい」「あの人の味方でいたい」「悪いのは、あの人のこういうことだと思う」と話している自分の感覚で「あ、これは本気だな」とか「あ、私、言うほどそうは思ってないな」というのがわかってしまう。

そうすると自然と優先順位が見えてくる。何を守りたいのか。誰が大事なのか。本当はどうしたいのか。どれなら捨てられるのか。どこまで妥協できるのか。

ただしこれは、自分の身を守るためだけに話している人には働かないセンサー。そうじゃない人でも、どこかで自分を守ろうとしてしまっているときには、目を逸らしたくて鈍ってしまうセンサー。でもそこで「あぁ、私は何かを守ろうとしてしまってるんだな」ってことに気づけば、「じゃあ何を?」と問いかけられるので、また見えてくるものがある。


◆自分で考えるときには

自分で考えるときにやることは
「適切な問いを持つこと」
「内側の問題か外側の問題かを見ながら考えること」
「視座を上げること」


◆適切な問いを持つこと

あるとき、「コンサルタントの方が相談する人にどういう質問をして答えを引き出しているのかがわかったら、普段から自分でも自分に問いかけることができるんじゃないかな」と思って、グループコンサルのときに、コンサルタントの方が何を聞いているのかを見ていたことがある。

「本当に、それ、したいですか?」「で、何を解決したいですか?」「それの何が問題なの?」「その出来事にどんな意味があったと思いますか?」「やりたくないことは何?」「そうやって悩むことで、どんな得をしてる?」


なぜその質問をするのかを考えながら、答える人を見ているのがとても勉強になった。答えたくない質問だとうまくはぐらかす様子も見られたので、どういう人が本当に変わりたくてその場に来ているのか、どういう人が変わりたくない人なのかも、外から見ていたらはっきりわかった。

質問をした瞬間に答えは決まる。質問をして、それに答えるというのはインターネットで検索するのと全く同じ。「どうしてできない?」と聞けばできない理由が、「どうすればできる?」と聞けば、やるための方法が出てくる。だから頭を使わなければいけないのは、どう答えを出すかではない。欲しい答えを手に入れるための適切な問いは何か、だ。


◆内側の問題か外側の問題かを見ながら考えること

問題が複雑に見えるときは、悩みやすい人ほど自分の中での感情と外側の状況が混ざっている。状況的にできないという理由が自分の内側のときもあれば外側のときもある。

内側の感情や何を怖れているのかを見る、ということと、外側の、現実に起きている問題をどう解決するかというのは別。別だけど、絡み合ってはいる。解決するための正論は理解できるけれど、内側でどうしても抵抗がある、ということはよくある。人はどうしても感情で動いてしまうから、感情は感情で見ていった方がいい。正論だけでは動けない。

適切な問いを自分に投げかけながら、「これは自分の感情を見たくて自分に聞いている」「これは、外側の状況的にできるかどうかを考えている」ということを分けることができてくると解決はしやすい。ただ、頭の中でやるとごちゃごちゃしやすいから、紙に書いた方がわかりやすい。


◆考えることができないなら感じよう、感じることができないなら考えよう

これは人の素質的に、どうしても考えることが好きで何かしらの理由があった方が動ける人と、感覚的で、動くのに理由が要らない人がいる。

もし、考えることが難しいなら、「どう感じているか」を自分に問えばいい。「本当はどうしたいと感じているのか」「本当に解決したいと感じているのか」「本当に守りたいと感じているのは何か」言葉を変えるだけでも、意識が「思考」ではなく「感覚」に向くので、答えが出やすいはずです。

感覚派の人は「もっと考えなさい!」って否定されて「考えなきゃ、理由がなきゃ」って思ってるかもしれないし、思考派の人は「考えすぎだから、早く決めて!」とか言われて本当はどうしたいのかわからない、ってなってるかもしれないけれど、どっちがいいも悪いもないから、大丈夫です。


◆視座を上げる

『いかなる問題も、それをつくりだした同じ意識によって解決することはできない。』とアインシュタインは言ったそうです。今の自分が困ってることを今の自分のまま考えたってわかるわけないじゃん、と。

じゃあ、どうすればいいのかと言えば、解決した自分になってみる。もしくは、尊敬するあの人だったらどうするかを考えてみる。神様がこの問題を見たらなんというかを考えてみる。社長ならどう考えるだろう。ゲイバーのママなら何て言うかな。「やだぁ、そんなのどーでもいいじゃなーい。飲みましょ♪」という声でふと肩が緩んで、見えなかった答えがふっと見えるかもしれない。


◆最後の裏技

最悪、寝ます。寝るときに「これで困ってて、ここまで考えた。寝てる間に答えがほしい。こうなったらいいなって思うけど、もっといい解決方法でもいい!寝てる間に考えといて!」などと勝手に決めて、寝る。これが不思議と、翌朝、どんどん答えや気づきが降ってくるので、検索機能といい、こういう再起動っぽい動きといい、本当に人間はコンピューターなんだなと思います。

これだけネットが繋がっているのに、自分の脳ひとつだけで何とかしようと思うのはもったいないし、これだけ繋がるからこそ、敢えて自分で考えておきたい。


人生は謎解き。どんどん問題は降ってくる。けれどもそのすべてがどこかの自分から今の自分への挑戦状なんだと思います。

どんどん悩み、考え、解いて、新たなステージへ。人との繋がりも糧に、さらに拡がる世界へ。


悩むのもまた乙なものですが、そろそろ私は脳内以外のところで遊びたいなと思います。

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