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春にして君を離れ

末恐ろしい本を読み始めてしまったなあとつくづく思い、ラストの行き着く先にぞっとした。アガサ・クリスティの書いた本だけど、誰も死なないし、ミステリーでもない。でも、現実こそ奇なりと思わせる作品だった。

主人公のジョーンは、弁護士の夫(ロドニー)を持ち、3人の子どもを育て上げ、品位に満ちた女性だ。でもバグダッドからイギリスへ帰る道中、砂漠の真ん中で様々な真実に気づき、自分の犯した罪に気づいていく。

よかれと思ってしたことだった。せめてわたしだけでも現実的な考えかたをしなければ、そう思ったからだ。何よりも子どもたちのことを考えなければならなかったし、利己的な動機からではまったくなかったのだ。けれども激しく湧き起こった自己弁護の声は、たちまちにして掻き消された。すべてはわたしの自分本位の考えからではなかったか、とジョーンは思い返していた。(略)まずロドニーの意見を尊重するのが筋道だったのではないだろうか? 


彼女は彼を心から愛していた。愛していながら、彼からその生得の権利を――自分の人生を自ら選びとるという権利を奪い去ったのだ。


これまでわたしもジョーンのようなひとに出会ってきた。「あなたのことは私が一番わかっている」という言葉。ひとりの人としてではなく、子供だから、片親の子だから、かわいそうだから、という言葉で、自分の領域が侵されていくようなことがあった。対話をしようとしても、そのひとは自分の中の世界を崩さない。話が通らない。次第にわたしも伝えることを諦めて、「その人の認識世界にいるわたし」をわたしも崩さないように振る舞って、穏便にすまそうとしたことがあった。

でも、私自身にジョーンのようなあり方がなかったと言い切れるだろうか。よかれと思って誰かの権利を剥奪してないか。だれかの言葉を自分のものとして奪い取ってないか。だれかになにかを「言わせて」ないだろうか。有無を言わさない言葉を発してないだろうか。そう考えると、後悔の念で潰されてしまいそうな出来事がパラパラと思いつく。

そうして、「その人の認識する世界」が守られながらすべての人が生きていくのかもしれない。SNSのタイムラインより怖い。ミステリーよりぞっとするわ、アガサ先生。





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