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人間以外の声を聴く

最近、人間以外の声を聴けるようになりたいと思うようになった。もう少し人外にチューニングしたい。この写真から3匹虫を見つけられる目になりたい。

人間の声にフォーカスしていると、不思議と、育てている野菜も枯らしてしまうし、ぬか床もだめにしてしまう。

でも、人間以外に集中していると、もうすぐ雨が降るのも気づくし、野菜はよく育つ。少し汚れた川を見て、ゴミは出したくないなとしんみり思い、今日のラップの使い方を思って「あさましいことだったな」と感じる。

この感覚をうまく言葉にできなくて、だれかに理解されがたいかんじがして、うーむと思っていたのですが、最近こちらのツイートを見ていて、あ、やっぱりそんなズレた考え方でもないのかもしれないと思った。

森田さんのツイートで引用されているのは、ティモシー・モートンの『ハイパーオブジェクト-世界の終焉後の哲学/生態学』という本だ。(わたしはこの本買いつつ、英文なので読むのに苦労していて読み切れていない…読もう…DeepL使う…)

読み切れていないのでとても安直な紹介になってしまうけど、「"目に見えないものを可視化する思想"が、地球温暖化などの現在と複雑多様な事象に対応できる考え方だよ」という話をしている。すごく安直な紹介。いいんだろうかこれで。ちゃんと読みます。

「目に見えないものを見えるようにする」はとても大切なメッセージだ。

もちろん昨今のSNSでの誹謗中傷を思えば、目にはあらわれない、他者の背景を想像する力に欠けてしまっているように思う。

でもその想像力を人間以外にも適用できないものか、とも思うのだ。

こと人間以外になると、かんがえるのをやめてしまいがちになる。言葉は通じないし、五感のようなふだん使わない能力を総動員しないとかれらのことはわからない。共存できない。

育てた野菜は枯らしてしまうし、ぬか床はだめにしてしまう。味噌汁もしょっちゅう吹きこぼれる。飼っていたアカヒレは三匹死んでしまった。「あーあ、だから植物はよくわからないんだよな。」「動物はいつか死ぬからいやだな」と関係性を避けてしまう。

でもそういうときはだいたい、言語に頼りすぎている。人間に意識が向きすぎている。人間の声以外を聴けるようになると、疲れがすっとなくなるんだけどな。

自分でないものに深く傾聴する時間を持ちたい。そして、そういう時間を、こどもと若者に意識的に届けていきたい。今日も雨の中をお散歩する。

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