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「寄付があるから国の予算を減らせる」でよいのかな?

先日、この記事を読んで「そういうことになっちゃうのかあ」とすごく残念に思った。京都大学iPS細胞研究所で、国からの予算がゼロ、もしくは数年に渡って減らされていく方針であるかもしれないこと、そして、その議論がどのように行われているのかがわからないことが記者会見で指摘された。

iPS研からみて、政府側にあてにされたと感じるのが寄付金だ。山中所長がマラソンなどで訴えて集めた寄付金は143億円に達する。山中所長は「寄付金があるから国の予算を減らせるという人がいるようだ。そんなことでは誰も寄付を集めなくなる」と訴える。

山中所長は自民党の議員に相談。自民党の科学技術イノベーション・戦略調査会は20年度からゼロではなく、段階的に減らす案を12日に決議した。寄付や受託事業などの収入を自己資金として自立を促すものの「新法人は民間という位置づけだが、作り上げたものが崩れないように支えるべきだ」と同調査会の古川俊治事務局長は話す。

公的な予算にしかできないこと

わたしは、公的な予算しかできないことがあると思っている。公的な資金源しかできない、社会的な投資や社会保障が存在すると思っている。もうけが出やすいか・出づらいか、という軸で意思決定されると、どうしてもこぼれてしまうものがある。

もしかしたら「寄付」の場合、事業収入ではないし、公的予算と同じような扱いに見えてきてしまうのかもしれない。でも実は、寄付という財源にも、寄付が集めやすいもの・集めづらいものがあって、どうしてもこぼれてしまうものがある。実は同じ法人のなかでも、寄付の集まりづらい事業と集まりやすい事業がたしかに存在する。

寄付で突破し、公的予算で拡大する

ちいさなNPOが寄付でやるよりも公的な予算でやるほうが効率的で効果的な事業はたくさんある。小さな組織は機動力が強みだから、自治体や行政の代わりに最初の一点突破をするという手もある。大きな額を寄付する人はNPOのその最初の一点突破に資金を投じる。国など大きな組織は最初のその一点突破を買い上げて、大きな組織にしかできない展開をするというのもいい。

(余談)もちろん、一点突破など目指さずに、小さいNPOが、自分たちの見える範囲でたのしくざわざわと動いて地域の穴を埋めていくのもとてもよくて、きっとそこには、地域をただよくしたいと思う人からの投げ銭のような寄付や会費がうまれるだろう。そういう役割の担い方だってある。

もし公的予算とは折り合いがつかないなら、事業収入化したり個人の負担ない小口寄付(マンスリーサポーター制度)に基づいて安定収入にしていけるように成長させていく。いずれにせよ、500万〜1000万円レベルの多額の寄付は20年30年ずうっと払い続けるものじゃなくて新事業立ち上げや安定収益化に向けた投資であってほしいなと思う。

だから、国の投資にあたる研究の分野で「寄付金があるから公的予算を減らせる」というロジックでほんとうに議論が行われていたのだとしたら、かなしい。山中教授は「そんなことでは誰も寄付を集めなくなる」とおっしゃったけどそのとおりだし、さらに「だれも寄付を出したくなくなる」とも思う。一点突破と行政を通したさらなる発展を信じて寄付を投じた人の心もくだいてしまう。寄付と公的予算は役割がちがう。おなじ天秤に乗せるものじゃないのだ。

なぜこんな状況なんだろう?

わたしのところには「来年オリンピックが終われば翌年度から国からの予算が減らされると思うんです。なので寄付集めについて学びたくて」という社会福祉法人さんやNPOさんからのお問い合わせがすごく増えた。

まさに、若手や現役世代、教育研究や文化資産などの公的予算で投資してほしい分野のNPOさんで「公的予算がなくなるから寄付を集めないといけない」という状況が生まれている。

実際、工夫すれば1,000万円くらいはどの分野でも無理なく寄付は集められるし、日本の寄付市場はまだまだ開拓できていないから各団体によるそういう自助努力はあっていいと思うんだけど、あまりに相談件数が多くて目を丸くする。D×Pだって、大手さんに比べたらそんなに寄付あつめてるわけじゃないんだけどな…カッツカツだけどな…(見てくれ財務諸表)と思いながら、頭をひねる。

なぜこの状況が生まれているのか?という問いに対する答えとして、2018年7月の「平成最後の夏期講習」でヤフーCSOの安宅さんのプレゼンがものすごくわかりやすかったので、ご紹介したい。なぜ、iPS細胞研究所のような研究分野に予算が割かれないのか?

https://youtu.be/fV37SGxMqZs?t=1399

さらにR&D。今はものすごい技術革新期だと、ここにいらっしゃる方はみなさんご存知のとおりですが、日本とアメリカが2~3倍の国力の差です。中国と比べても同じようなものですが、実際にはR&D費用は4~5倍差がついてまして、ぜんぜん国力に見合った投資ができていないです。トップ大学同士を見ても、学生1人当たりの予算はアメリカと比べて3~5倍違いますし、教員等に払う金も少ないと。実は30年くらい日本の大学の先生の給料は変わってない、という驚くべき状況にあります。

日本では十分にリソース投下ができていないことは明らかです。それがなぜなのか? というのは、みなさんも当然、疑問に思われると思います。

実は社会保障費というのは、年間120兆くらいあるんですよね。これは膨大な社会保険料とその基金の運用によって本来賄われるはずなんですが、45兆円くらい穴が出ていて。これを国費及び地方で補填している、というような実態です。(略)これは中身を見てみると、だいたい年金が60兆。医療費が40兆くらいあって、この2/3は65歳以上だと言われています。しかも、ここにある過去の残債は、昔の社会保障費なんです。合わせると、百数十兆円という金が過去及びシニア層に使われている。なので、ぜんぜん未来や若者に金を突っ込めない。

わたしは「ただ日本はお金がないから、無い袖を振れないのかなあ」と思ってたのだけど、実際お金はあって、それが「過去の負債・シニア層の社会保障・インフラ」に主に使われているという状況なのだとわかった。シニア層の社会保障はすごく大事なことだから、安宅さんはそれを批判しているわけじゃないんだけど、とにかくこども若者・未来(研究投資含む)にお金が使えていない事実がある、ということを指摘していた。

「自分が所得再分配の担い手になろう」と大きな額を長年寄付してくださる方がいること

いまの日本の公的予算では、現役世代をふくめたこども・若者/未来に対する所得再分配が行われていない。そしてそれはまだ10年、20年、30年と続いていく。そのうちに、こどもだったひとは現役世代になり、どこにも助けられた経験のないまま失望のなかで社会をあるいていくことになるのかもしれない。理想状態ではないけれど、待ったなしの状況だから「自分が所得再分配の担い手になろう」と多額の寄付を長年してくださる方がいる。「わたしたちが、所得再分配の担い手になろう」とおおくのひとから寄付を集めようとがんばるひともいる。

そうして寄付でみんなで支え合って頑張る間に、なんとかこの30年で国家予算のほとんどが「過去の負債・シニア層の社会保障・インフラ」に使われる状況を打開できないか。その打開策を考えています。

(余談)
わたしはいまそういった日本の国家予算状況の打開と新しい公助・共助・自助のありかた、共生可能なライフスタイルの再構築に興味があって、ひとりで自由研究しているのですが、読みたい本が多すぎて値段も高すぎて発狂しそうです。noteのサポートは入谷佐知の自由研究にあてようと思います…。有料マガジン読者の方、サポートしてくださる方、ほんとうにありがとうございます。がんばって研究して、よき解を見出したいです。

サポートも嬉しいのですが、孤立しやすい若者(13-25歳)にむけて、セーフティネットと機会を届けている認定NPO法人D×P(ディーピー)に寄付していただけたら嬉しいです!寄付はこちらから↓ https://www.dreampossibility.com/supporter/