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全員で振り返る

正直、振り返りは得意じゃない。やってしまったことはやってしまったことで、それを受け入れるしかない、以上。というかんじだった。

だけど、チームメンバーのうながしのおかげで、この経験はなんだったのか?あの経験からなにを学ぶのか?という振り返りをチームですることが、増えてきたなあと思う。P→D→C→Aまでしっかり手順を進まなくてもいい。でも、DDDDD(Do)には組織の学びがない。あれはなんだったのか?という問いを、さまざまなひとの視点から振り返ることで、チームの共通言語が生まれ、やっとその経験を昇華することができる。

あれはなんだったのか?という問いに対する答えが、ひとりひとりでバラバラだと、そのあとに似たような出来事が起きたときに「あのときこうだったからAをやろうよ」「いやあのときこうだったからBをしたほうがいい」というようなかんじで、人によって解釈違いが起きて混乱しやすい。(その混乱もおもしろいっちゃおもしろいけど)

全員で振り返り、「あれは、ああだったのだ」と折り合いをつけるための手続きを踏むことで、真の意味で全員が起きたことを受け入れることができるし、そこから学んだ自分たちとして行動や仕組みに落としこむことができる。

振り返りの会議中は懺悔大会だ。「いま言ったってしょうがないけど、なんでこうしちゃったんだろうって思ってる」とわたしが吐露すると「たしかにこうすることもできたかもしれないですね」「いやそれは…しょうがないっすよ!」と言われることもある。呼応するように他の懺悔もはじまるけれど、最終的には「理想はこうだった」「次はこうしよう」「これをタスクにいれよう」という結論に落ち着いてくる。

わたしは昔はこういうのを、ひとりでやっていた。決断をしたのは自分だから、懺悔も、失敗の許容も、自分ひとりでやるものだ!と息巻いていた。でも、起きたことを受け入れるひとは、トップやマネジャーだけだと弱すぎる。ひとりで振り返っても、またたく間に同じことが起きるのだ。そりゃあそうだ、ひとりでこの結果になったわけじゃないのだから。

たしかに意思決定したのはトップかもしれないけど、そこにいたメンバーひとりひとりが各人のリーダーシップで動かしていて、この状況が生み出されていたのだから、振り返りのときに切り離せるはずもない。残念だけど、痛みは共有するしかない。「ごめん、よろしく!」とぶん投げると、思い切り答えてくれるメンバーでよかった。全員で振り返るってこういうことなんだなと学んだ。


いまの課題感もいくつかある。


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