見出し画像

「国」に求めることと、「わたしたち」がやることの境界線

「それは国とか行政がやることなんじゃないかな。なぜあなたたちがやってるの?」

と言われて「そうだよねえ」と思う。

「福祉事務所に相談しにいったら追い返されてしまった」とか「ハローワークに行ったら"バイト経験もないの?”と言われた。サポステとかそういう場所は教えてもらえなかった」とか「生活保護申請に言ったら、"ご自身のご家族は稼いでるんですから頼ってください"って言われました。家族には暴言を吐かれるし、頼れないから来たのに…」とか、そんな話を無数に聞く。だからNPOや非営利組織がいるんだろうな、と思う。(※もちろん、「市役所の方によくしてもらった」「セクハラ被害で警察に行ったら女性警察官がいろんな配慮をしてくれた」とか、いい話もたくさん聞きますよ〜)

一方、ある子ども食堂さんが寄付を募っていた時、ある人から「そんな貧困対策なんて政府がやることでしょう!」とどやされてしまったと言う。そういう話を聞くたび、複雑な気持ちになる。

わたしたちは、そもそも「国」とか「行政」が担う役割がなんなのか?について、同じ立ち位置で物事を語れていないんじゃないかなと思う。

すべて国のせいにするのも違う気がするけど、なんでもかんでも民間でやろうとするとつぶれちゃう。力が分散する。国や自治体、行政の役割はどこまでで、個人や非営利組織が担う役割はどのへんになるんだろう。

いわゆる近代的な思想のあり方だと、【経済的な事柄において個人は個人の幸福を求めて自由に競争してよくて、そこで生じてしまう格差とか環境課題なんかは政府が調整する】ということになる。

そのぐらい役割がシンプルだったらいいのにな、と思う。

でも、そうしていると解決できない問題が出てきている。環境課題は悪化の一途をたどっているし、日本の生活保護受給者は増えているし、日本の債務残高はGDPの2倍以上あって財源もない。

もうちょっと調べていくと社会保障のあり方には概ね3つあるのだという。『福祉資本主義の三つの世界』という本に、北欧の「社会民主主義」、大陸ヨーロッパの「保守主義」、アメリカなどの「自由主義」の3つが書かれている。(この本はわたし高校生の時に読みましたが、今のほうが頭に入ってくる…)

■北欧タイプ:税金めっちゃとる/政府がとにかく再分配・細かな社会サービス全部政府がやる
■大陸ヨーロッパタイプ:税金より社会保険料から、雇用前提/現金給付メイン、それ以外は個人・民間が相互扶助してこうねっていうスタンス
■アメリカタイプ:政府がやるのは最低限/ボランティア推奨・自助推奨

となっていて、それぞれわかりやすいな〜と感じる。アメリカに巨大な非営利組織が多く、資産家が非営利組織に大型の資金投入するのは自立自助が推奨されているから。ドイツ/フランスも同様に力強い非営利組織が多く、年金や生活保護は国の大きなベースになっている。一方、日本のNPOが北欧の視察に行こうという話になると多くが民間でなく公的機関の視察になるのは、高福祉国家ならではなんだろう。

では、日本という国はどこをめざすんだろう?どれやねん、と。

それがわかりやすく「これよ」ってなってないから、最初の「なんでおまえらNPOがやるねん、国がやることやろ」みたいな議論になる気がする。その議論は不毛なので、もうしたくないなあと思う。国としてのビジョンを持っていたい。わたしはここについてはまだ考えがまとまらないので、もうすこし日本がどのタイプを目指すのか、どういう国家のデザインがいい感じなのか考えたい。でもおそらく、国として今の時点で高福祉タイプに大転換するにはものすごく痛みが伴うから、非営利組織や相互扶助に求められるものは大きくなっていくと思う。

経済合理性と市場さえあれば企業がやってくれる。経済合理性がなくても一定数のニーズがあれば行政がやってくれる。それでもなされない、制度の狭間のポロポロ抜け落ちたところに、個人やNPO等の非営利組織がいると思っている。いちNPOの未来の話をするとき、国家とか企業の背負ってくれる役割とセットで考えたいな。

サポートも嬉しいのですが、孤立しやすい若者(13-25歳)にむけて、セーフティネットと機会を届けている認定NPO法人D×P(ディーピー)に寄付していただけたら嬉しいです!寄付はこちらから↓ https://www.dreampossibility.com/supporter/