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日刊さっちん(ゆるめ)

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さっちんこと入谷佐知が毎日のちょっとしたことや頭の中身を書いていくだけのマガジンです。ゆるめです。
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#寄付について考える

「自尊心を尊重した寄付のお願い」と、自立した人としてみなすということ

雑誌『暮らしの手帖』に、佐藤雅彦さんの「考えの整とん」という連載がある。昨日図書館で佐藤雅彦さんの文章に久しぶり出会って嬉しくなってそのまま読み老けってしまった。そこにはこんな文章があった。 佐藤さんは20年以上前にこんなCMを海外で観たと言う。 わたしもこの文章を読んで震えるような思いだった。 でも、モヤモヤした思いも同時に残った。佐藤さんの言うように、それは「目の不自由な方たちの自尊心に配慮したコミュニケーション」だったと思う。そう思う。 でもわたしは、目の不自由

寄付がそれをさせてくれた

わたしはNPOで働いている。高校生をサポートするNPOで、寄付を集めたりPRする仕事をしている。(NPOにはいろいろあるけど、企業のような事業型や行政委託型ではなく、寄付型NPOにあたる。) わたしは以前、「高校生にとっての価値はこれです!」「彼はこの段階のステップを踏んでこうなりました!」「お金にするといくらです、費用対効果これ!(SROI)」と言えたほうが、寄付につながりやすいんだろうな、とも思っていた。寄付する人が何に寄付したのか見えやすい。でもわたしたちが日々垣間見

寄付の集め方がライトであっても、現場がライトであってはいけない

先日このnoteを書きました。 でも、このnoteに関する感想が「そうだよどんどん寄付をライトにしていこうよ、いいことなんだから人の善意に文句つけることないじゃん!」というかたちでシェアされてしまい、「そうか、そんなふうに捉えられてしまうのか」と悲しく思ってしまった。 寄付のあり方や広く一般の関わり方はライトであっていいんだけど、そんな寄付を受け取る私たちNPO自身は、自分たちが日々担う現場に対してチャラくあってはいけないと思う。自分たちの現場にこだわりを持って、NPOと

寄付したことを言う自由、言わない自由。ライトな関わりを歓迎する

昨日、菅本裕子さん(ゆうこすさん)がこんなツイートをしていて、ほんとうに嬉しくなりました。 でも、その表明に対しても悲しいリプライがついていてたので、思ったことを書きました。 「人知れず寄付をする」はこれまで美徳のように語られてきた。でも、寄付を表明することで周囲が"あの人が寄付したなら自分も寄付しよう"と思うかもしれない。だとすると、伝えることで自分が寄付した以上の額を社会にもたらせるかもしれない。だから「表明する」という選択をするのはありだと思う。インフルエンサーとし

期待値は資本

「エクスペステーション(期待値)を煽るビジネスはビジネスじゃない。何も売ってないから。」 とある方が言っていて、クラウドファンディングをやわらかに批判していた。コンサルタントを長年されていて、結構お世話になっている方だった。 それを聞いた当日は、慌てて「エクスペクテーション」を検索したくらいで、おっしゃっていることがよくわかっていなかったんだけど、要は「期待や共感でお金を得るというのは幻想を売っているようなもので、顧客に実利がなければビジネスじゃないんだよ」というようなこ

「寄付のお願いをしてくれてありがとう」と言われたこと。

わたしは「寄付してください」ってお願いするのが仕事だ。 でも、この仕事に就いたばかりのころは「寄付をもらう」というのはこっちが受け取るばっかりだと思ってた。嬉しいのはこっちだけだと。「先方の善意をただただ受け取る」ということだと思っていた。 5年前の冬のこと、ある友人に寄付のお願いをしたら快くオーケーして、すぐに手続きをしてくれた。続けて彼女からのLINEにこう書いてあった。 「うれしい。ありがとう。んー、いやー、ほんとうれしい!」 その書きぶりに笑ってしまって、「こ