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光と青の世界との幸せな出会い

私は時々、光を感じます。

それは温かく、
やわらかく、
細かいクリスタルのように煌めいていて、
私の周りに存在しています。

どこまでも優しくて、
時々、ささやき声も聞こえます。

ありがとう
大丈夫
がんばってるね
もっとゆっくり
それでいいよ
愛してる

どうしてこんなことを
書いたか・・・といったら、
まつおさんの詩と
ゆめのさんの絵に対面しているとき、
温かな光を濃く感じるからです。


まつおさんとゆめのさんに出合ったのは、
yoko_sさんの記事でした。


yokoさんのご紹介を拝見して、
まつおさんとゆめのさんのnoteにお邪魔しました。

あぁ、あったかい。

そこにはあたたかな光が在りました。

光のある場所のイメージは、
清らかな水面だったり、
突き抜ける上空だったり、
静かな森のなかの、
葉っぱが大事そうに抱える露の中だったり、
永遠を感じる宇宙だったり。

絵を眺めているだけで そして
詩の世界にひたるだけで
時が止まり
しばし光の中へ誘われるようでした。



そういえば。


私はいつも
「光」と「青」に癒やされている、と
いうことに気づきました。

考えすぎていたり
自分を追い詰めてしまっているような時。


記憶のなかで思い出すのは、
青と、優しい金色が混ざったような
やわらかい夕焼け空のような風景。


20代の頃、
あぁもう本当にだめだ、
疲れちゃった…という時に、
会社をさぼって
一人でほぼ一日
ぼーーーっと
海を眺めていたことがありました。


最初は、
「会社をさぼっている」という
罪悪感にも押しつぶされそうになっていましたが
長いことそこにいるうちに、
そんな罪悪感も洗い流されていることに
気づきました。


何をそんなに、
がっちりとつかんでいたんだろう。


それは全てではないのに。

光はこんなに優しくて
海はこんなにやわらかい。


疲れたら、休めばいいんだ。


なーんだ、
それだけのことだった。



海のそばの家から
引っ越してしまったあとは、
大きな池のある公園が、
私の”放電場所”となりました。


元気がなくなったとき。
充電するのではなく、
放電しに行きます。


放電して、
手放して、
また新たな光を見つけるために。


ゆめのさんの絵のなかで、
そういう”放電場所”のような
絵を見つけたのですが、
販売されていないようで、
今はご縁を待っています。

一日の終わりに見れば
心地よい眠りを約束され

一日の始まりに見れば
優しい何かが待っている予感がする

そういう幸せな出会いに
恵まれました🍀



最後まで読んでいただき
ありがとうございます🌈



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