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「やりたいことをやればいい」なら、お母さんが子供を置いて遊びに行っていい、ってことでよろしいですね?

「楽しいこと、やりたいことをやればいい
やりたくないことはやらなくていい」

といわれると

じゃあ、お母さんが子どもを 置いて遊びにいっていい?
仕事はやりたいことだけやればいい?
それじゃいきられないよ!

という反論(?)質問(?)が
出てきます

この記事の
タイトルのようになります

これは

「楽しいこと、やりたいことをやればいい
やりたくないことはやらなくていい」

の意味を本当に理解するのは
ちょっとコツがいる
ということです

もっというと、理解している人が

「楽しいこと、やりたいことをやればいい
やりたくないことはやらなくていい」

という言葉だけを投げて終わらせるのは
ちょっと不親切

人は自己成長を望む生き物

本当の意味を理解したい
と思っている人は
少なくないようです


「楽しいこと、やりたいことをやればいい
やりたくないことはやらなくていい」

というのは
従来の自分より
一次元あがったレベルで通用することです
(何次元かはよくわからないので
とりあえず一次元としてます)

自分の次元を変えずに(上げずに)

「楽しいこと、やりたいことをやればいい
やりたくないことはやらなくていい」


といわれると、冒頭の

じゃあ、お母さんが子どもを 置いて遊びにいっていい?
仕事はやりたいことだけやればいい?
それじゃいきられないよ!

となる

同じ次元で考えるからこうなります。
次元を一つあげれば、
こういう帰結にはなりません。

じゃあ、どうやって次元をあげるのよ
っていう話ですが

「楽しいこと、やりたいことをやればいい
やりたくないことはやらなくていい」

の前に
「自分の精神性を高めること」です。

もうちょっとわかりやすくいうと
「自分の心身の健全をはかること」です。

これがちゃんとできてれば
お母さんは子供を置いて遊びにいきません。
「自分も子どもも一緒に楽しむには
何ができるかな?」と考え始めます。

仕事でやりたくないことがあっても
「どうやったらやりたくなるかな?」
と考え始めます。

もしくは
「どうやったら得意な人に
気持ちよく頼めるかな?」
と考え始めます。
そして、人にやってもらったら、
「自分の得意なことは
自分が引き受けて恩返ししよう!」
と考え始めます。

やりたいことや
楽しいことをやって
しあわせにいきてくには
どうしたらいいかな?
と「自然に」考え始めます。

こう考えたほうがいいから、
という意志・努力・根性はそこにはなく
「自然に」こういう考えが起こってきます

これが
自分の次元を
一次元あげる
ということです

その上で

「楽しいこと、やりたいことをやればいい
やりたくないことはやらなくていい」

が通用する世界に突入します

次元をあげる
というと身構えてしまいますが
ちょっとしたことでいいんです
少しずつでいいのです

まずは自分の心身の健全を
本気で考える
本気で取り組む
ここがスタートです

自分の心身の健全を担保することが
どんなに自分をしあわせにするか
どんなにまわりをしあわせにするか
実験してみてください

(私もまだまだ実験中!)

スタート地点をすっ飛ばして
ゴールばかり目指しませんように

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