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だから取説よみません。

以前、沖縄に長期滞在していた際に、東京で飼っていたハムスターが亡くなりました。名前をぼるちゃんといいます。息子から、ぼるちゃんが硬直しているがどうしたらよいか、と電話がありました。状態を聞くに、見込みがなさそうなのはわかりましたが、それでも一縷ののぞみをかけて、私も息子も至急診てくれる動物病院を探して電話をかけまくりました。

近隣のペットショップの中に入っている動物病院がありました。そこはハムスターのような小動物も診ているので、まずそこにかけました。調べると営業日の営業時間帯ではあるものの、電話にでません。しびれを切らして、下階のペットショップに助けを求めて電話をかけました。

すると、「上のペットショップは電話は別になっているのでそちらにかけてください」と言われました。何度かかけているが、つながらない、緊急事態なのでどうにかならないか、と聞いてみましたが、受付は別なのでかけ続けていただくほかないです、との回答でした。

このペットショップの内階段を登れば、すぐ2階の動物病院の受付です。徒歩10秒で、せめて様子を確認することはできます。さらにペットショップの店員さんなら、助けてほしいという気持ちをわかってくれるだろう、という目論見が私にあったのは確かです。だから電話番号は別だとわかっていても、ペットショップに電話をしました。

でも「そちらに電話してもらうほかない」そういう仕組み、マニュアルになっている。それは生き物の命の灯火が消えかかっているときでも、守らねばならない仕組みなのでしょう。私の目論見が甘かったようです。


その後、心ある他の病院でぼるちゃんの死が確認され、ぼるちゃんは天国に旅立ちました。

つい数カ月前の出来事です。


ときは10年以上遡って、東日本大震災。

当時、息子は小学生でした。
今のようなオンラインの仕組みもないので、多くの保護者が外で仕事をしていました。そして、あの震災。多くの保護者が帰宅することができませんでした。私もそのうちの一人でした。

学校側には、震災時マニュアルがあって、緊急の際はそのマニュアルに従って行動するように、先生も教育されています。それが、児童を一番効率よく、確実に守れる方法とされているからです。そのマニュアルでは、児童は「集団下校」させること、となっていました。自宅の地域別に児童を分けて、集団下校をする。そうすると、児童のほとんどが「最後まで誰かと一緒」「一人にはならない」ということが確約されるからです。特に、低学年児童は、高学年児童とともに帰宅できる、兄弟姉妹ならば、行動をともにすることができます。

だから、先生は集団下校をさせるべく対処を始めました。でも保護者がそれを止めました。保護者が家にいるとは限らない、現時点で帰宅手段がないのに、保護者の在宅を確認せずにいま子供を家に帰してどうするのか、と。

これは先生がだめだということではありません。保護者は先生のようにマニュアル指導を受けていないから、こういう当たり前のことが当たり前にわかるようになっている、それだけです。


仕組みやマニュアルは便利ですが、それを扱う側が事実や本質を見る目を失ってはいけないし、失うくらいならむしろない方が良い、とすら思うのです。

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