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恋愛小説部門応募作「青い海のような、紫陽花畑で」4話



青く染まった紫陽花が枯れ始め、
クチナシも散り始めた。

リズは紫陽花畑にいて
籠の中に青い紫陽花の花びらを
集めていた。
あの日からジェレマイアとは
すれ違いになっていた。
ジェレマイアは研修医として
忙しい日々だった。


籠を手に下げてリズは海辺を
歩いた。
波の音が優しく、水面の光がずっと
遠くまで続く。
その光の美しさをぼんやりと眺めていた。
すると、
籠の中の紫陽花の花びらが風に舞い、
青い蝶のように海へ飛んでいく。

「海へ還るのね。いいな。」
リズは呟いた。



美しい花嫁のリズは
人々に祝福された。
ジェレマイアは家族として
兄として参列した。
タイをきつく結びすぎて、ジェレマイアは
少し、苛立っていた。

笑顔でブライアンと並ぶリズを
まるで映画のように見ていた。
ジェレマイアは退屈さに耐えかねて
結婚式を抜け出した。
歩きながらタイを外した。
何も考えず、感情が失せたように
歩き続け、クチナシの森を抜けるとき、
タイを森の奥へ放り投げた。
甘く、朽ちるクチナシの香りはなぜか、
皮肉に感じた。

家に戻ると、部屋のドアの前に
木箱が置いてあった。

白いリボンをほどき、箱の中を開けると
青い紫陽花の花びらとクチナシの花びら
が入っていた。
ジェレマイアは添えられたカードを読む。

私は蝶になって
飛んで行きたい。
あなたとの思い出は終わりです。
どうぞ、海へ還して。

リズ


ジェレマイアは髪を掻きむしるようにして
やるせなさを押し殺そうとした。
想いは絡みつく。
木箱を抱え、海辺まで歩いた。



水面の光を眺めていた。
風は冷たかった。
ジェレマイアは木箱を開けた。
風に花びらは舞い上がり、
海へ飛んで行った。
リズの願い通り、
思い出を終わらせ、そして
海へ還した。







4年の時が流れ
リズは母となった。
ジェレマイアは獣医師として忙しく過ごしていた。
そして教授の娘との結婚話も進んでいた。
ジェレマイアとリズは
お互い、会うこともなく、まったく
別々の道を歩んでいた。

ある日、リズが子供たちを連れて里帰り
をした。これまでリズと顔を会わさない
ようにしてきたジェレマイアだったが、
とうとう、リズと再会した。
薄紫のドレスに白い鍔広の帽子を被った
リズは若い母親らしく、落ち着きと品があり
少し痩せた頬が、それでもジェレマイアとの
再会で紅潮し、そのすべてが美しく、
ジェレマイアは奇妙なほどに愛おしさを
感じた。
「お久しぶり。」
リズは華やかな、奥深い美を放ち、
微笑んでいた。
ジェレマイアは胸の奥から湧き上がる、
抑えようもなく、出口も見つからない想いに
混乱していた。
朴訥として、目の前にいるジェレマイアを
リズは海のような母性で眺めていた。
リズの子供たちは、初めて会う伯父に、
無邪気に親しみ、その純粋さをジェレマイア
は受け入れた。
ジェレマイアの変わらぬ優しさと子供たちの
笑い声。それはリズにとって何年も夢見ていた
風景だった。


海辺を通り、沈む夕陽を眺めながら
ジェレマイアは永遠とは何か、と考えた。
そして自分は相変わらず、無邪気な哲学めいた
そんなことを考えながらも、心から願うことに
正直になれない、何という矛盾だろう。
思春期のように自分に落胆した。

帰宅すると、リズの子供たちは見当たらず、
部屋は静かだった。

リズは裏口からたくさんの白い紫陽花を
抱えて入ってきた。

「おかえりなさい。」
声も、仕草も、存在もリズは美しかった。
「今年は雨が少なくて、まだ白いままなの。」
白い紫陽花はリズの腕の中の無数の
蝶のように見えた。
リズは一瞬、ジェレマイアを見ると
すぐに目を伏せて言った。

「子供たちを連れて別荘に。
孫と過ごすのが、おじいちゃん、
おばあちゃんの夢だったから、って。
明日は私が迎えに行くのよ。」




窓から入ってくる風の心地良さが
論文に向かうジェレマイアを眠りに誘う。
目を擦り、ため息をついた。

「ジェレミー、紫陽花を
飾ってもいい?」
ドア越しにリズの声がした。
ジェレマイアは何気なく返事をした。
リズが部屋に入ってくると、
スイガズラのような香りがした。
リズは白いガウンを羽織り、髪を
下ろしていた。
白い紫陽花を生けた花瓶をリズは花台に
そっと置いた。

ジェレマイアは机に向かっていた。
論文には集中出来ずに、そして感情を
取り繕うように、医学書を開いた。

ふと、見ると、ベッドにリズが座っていた。

リズの目が輝いていた。
その輝きはジェレマイアを掻き立てる。
「ジェレミー‥‥。」
リズは小さな声で呼んだ。
「リズ?」
いつものような、優しい声。
リズは胸がいっぱいになり
その瞳から涙が溢れ落ちた。

「どうか、この夜だけは。
あなたが私の愛だとわかった
あの幼い日から、ずっとあなたの
中に私が居ることを、ずっと知りたかった。」

ジェレマイアは空虚さに苛まれた。
何も考えられず、何も。
それは空虚ではなく、
衝動も激しい感情も、愛しいが故に。

「僕には考えつかない。
考えられない、何も。」

ジェレマイアはリズの涙をなぞるように
拭った。
リズの目は輝いた。
その輝きはジェレマイアのためだけに
放たれたもの。
「何も考えなくていいの。
ただ、この夜を過ごしたいなら。」
リズは言った。

ジェレマイアはリズの体を包み込んだ。
リズはジェレマイアの胸に顔を埋めた。
幼い頃の、紫陽花畑で、そうしたように。

「きっとあの時から、ずっとリズを
愛していた。きっとそのために出会った。
兄妹と設定されたのは、何かの、
意地悪みたいなものなのだ。」

リズは夜露に濡れ、香る、八重咲きの
美しいクチナシのようだった。


その夜、深い海を知る。

5話へ続く


3話はこちらです
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