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正義と正義がぶつかり合う時

なにかがぶつかり合う時っていうのは
悪事に対しての正義っていう構図にはならない
っていうのは長い歴史やら、
大人になってから分かったことの一つだけど、
物事が未知な時に、どれも可能性の正義があるという状態でいると
正義と正義がぶつかり合って、一番よくない状況が起こるんだなな
なんてことを感じていたところです。

可能性がいくらでも分岐するようなものごとの時に
(というのは基本的にすべてのことに言えるのですが)
自分がその道でそれなりに過ごしていると
まるで自分の言い分が正道だと思ってしまうのは良くある話で
私もついつい自分が歩んできた経験値でものごとを語り
「こちらが正しいと思う、そちらはイカン」
みたいな物言いをしてしまうことがあるので
そういう人間の認知の部分で”バカの壁”を越えるのは
本当に難しいことなのだろなって思うんだけど、
現代の私たちが相対している危険ってやつは
見えない脅威であるからこそ
恐怖の本能で冷静になるのが難しいのだろう
なんてことを感じたりしています。

東日本大震災後の放射能の時も、
今もまだ疑問はあるし、脅威は去り切っていないし
新しいテクノロジーへの推移への力になったりと
様々な余波が残っているところなんだけど、
今回の新型コロナワクチンに関しても
あまりに新しい技術のせいか、様々な憶測が飛び交い
実に馬鹿馬鹿しい話から、きちんとした体験論まで
たくさんの話が出てきているところで判断が難しいところです。

その中でも、少なくともイスラエルでの成功や
その他のエビデンスでキチッと体系化されているところに
水を差しまくっている「ワクチンで人が死ぬ」という話と
副反応の激しさに「悪いものだ!」という論調で
わめいているうちは良いけれど、
他の人に喧伝したり、あまつさえワクチンが打てなくなるように
電話で抗議したりする勢に勢いがついているのは
愚かさどころか脅威としか受け取れず
本当に恐ろしいことだなと感じているところです。

私たちが行うことの因果っていうのは
必ず決まっているものではありません。
ある程度のことは決まっているけれど
それはその条件が整っている時であり
だいたいのことは再現性があります。
だからこそ科学は発達してきたし、
私たちは料理をしたり、なにかを作ったりして
日常を過ごせているわけです。

だけど、私がこの1秒後同じように呼吸して笑っていられるとは限らない例として
今夜突然の風が吹いて、何かが倒壊し、
それがあれよあれよと連鎖して私の家が潰れるってことだってあるし、
コンビニに行った際にたまたま突っ込んできた車に轢かれることだってあるかもしれないんです。
すべては可能性の上に立っていて、
その可能性の中でも脅威が低いものにベットし続けて生きるぐらいがせいぜいなんです。

ワクチンが未知の技術で、
10年20年と培われるような時間が足りてなかったりと
不安なことがいっぱいあるのも不思議はないし、
その中でも大きな副反応が出るってことで
自分が万が一でも(それより大きな確率だとしても)
その悪い方に当たってしまったとしても
それは ワクチンを打ったから死んだ
とは言えないんです。
たしかに私の直接の原因はワクチンを打ったことが引き金かもしれないけれど
その時に自分の持っていた他の原因がどれだけあるか分からないんです。

例えば飛行機事故が万に一つの事故を起こすからといって
飛行機に乗らないっていうの一つの道だと思いますが
あなたはその万が一のことを他の人にも喧伝し
飛行機は落ちるものだから乗るなと言い続けるのですか?

自分が体験した最悪をその他全員の最悪とつながると
なぜ言い切れるのですか?
そんなことを思っていたところです。

不安があるのも仕方ないし、
自分が経験した怖い経験をみんなと共有するのも大事なことでしょう。
注意喚起というのは、他の人の備えになりますからね。
それでも他の人の行動の制限になるようなことを喚起するのは
それは多分 良いことではない と思います。

自分が打ちたくないっていう理由もありだと思うので
それはそれでそうすれば良いって思うけれど、
医療関係やそれに類するものの関係者の場合
私はその人はしばらく現場から外れていて欲しいと願います。
個人の願いと社会の願いはたまにかち合わなくなるものです。
その間の手当てを誰が出すのか?という問題などに関しては
ちょっと今思いつかないけれど、
その人のわがままを通すなら、こちらのわがままを聞いて欲しい
というたいへん身勝手な話なだけです。

あまりにヒドイ投稿を見てしまったので
今も視界がグラグラするような気持ちでいるけれど
人の不安を煽るようなことばかりしているメディアも悪いし、
きちんと説明をしてこなかったサイエンス側の人たちも悪いのだろうし、
結局人は自分の信じたいものしか信じられないのだから
その人にはそういう一面があった、ということだけにして
その人自身のことを嫌ったりしないように
フラットな付き合いが変わらないように
自分自身にも喝を入れているところです。

ー罪を憎んで人を憎まず

うまくバランスを取っていきたいものです。
ということで今日もこの辺にて。

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