見出し画像

相手の選択を尊重するという事

皆さんこんにちは。
バリ島からメディテーションヒーラーのさっちゃんです。


「諸行無常」って一度は聞いた事がありますよね?


世の中は常に移り変わっていて変わらないものは何もないという事ですが、私たちの日常生活もまさに諸行無常です。


新しく出会う人がいれば別れる人がいる
これが世の常だとわかってはいても、やっぱり人との別れは辛いものですよね。



今まで仲良くしていた人が、ある日突然
いやその人にとっては突然ではないのだろうけど、話もしてもらえなくなり、自分から物理的にも遠ざかり


あれ?なんか私避けられているみたい
メッセージを送っても返事は無し
うん、間違いなく「何か」があったんだ


そういう関係になったAちゃん


これはAちゃんが初めてではなく、学生の頃やもちろん大人になってからでも何度もある。
そしてこういう経験は私だけじゃなくて、きっと世の中の多くの人が経験していると思う。


私はこういう出来事に弱い
なぜなら「私のせいだ」って思ってしまうから


私が何か言ったから
私が彼女が嫌がる何かをしたんだ
私の何かがいけなかったんだ

私はこういう風に思うタイプで、離れることになった原因は「私」にあると思ってしまう。

これは思考の癖だから仕方がないのだけれど、私のように思ってしまう人は多いし、HSPさんは特にそう思ってしまう人が多いと思う


でも逆に
私の事が嫌いになったんだな
なんか嫌な事があったんだな
もう飽きたのかな

なんて、逆にその離れるという理由は「相手」にあることを認識できる人もいる。


自分に友達を選ぶ権利があるように、相手にも友達を選ぶ権利があるわけで、その中に自分が入らなかった事をまるで自分が否定されたように思ってしまう。

私は今までそうやって生きてきた。


Aちゃんとは近所に住んでいた事もあり、一時期は心も距離も近かった。それが、ある日突然理由もわからず避けられ、それから私の心はAちゃんで一杯になった。


こういう時、「自分のせい」と思っている人には怒りの感情が現れる事も多い。よくあるのがその人の悪口を言うとか、事実ではない事を言いふらすとか。


私は人の悪口や噂には興味はないので、外に向かって何かを公言することはなかったけれど、心の中がずっとモヤモヤしていた。


そして恐らく1年ほどたったころ、ダメもとでもう一度メールを送ってみたら、なんと返事が返って来た。
思わず涙してしまった。


ここまで私はどれだけ自分の事を責めていたんだろう、そう感じた。
自分のせいではないのに、自分のせいにしてしまっている自分に気が付いた。


そして私は彼女に手紙を書きたいと伝え、うまく書けるかどうかわからないけど、今までの自分の思い、なぜAちゃんが私から離れたのかわからない、私が何か気になることをしたのならごめんなさい、という事を綴り、海を越えて日本へ送った。


結構な時間がたったけれど彼女からは届いたとか、そんな連絡も全くなく、また数か月が経ち、忘れた頃に彼女から返事が届いた。

手紙の中身には、私が求めていたようななぜ離れたか、の明確な答えは書いていなかったけれど、色々と気付かされた

何があったかは分からないけど、今彼女はこうして私に手紙を書き、わざわざ郵便局に手紙を出しに行ってくれる、そんな時間を使ってくれている。
どうでもいい人にはそんな時間さえ使いたくないはず
感謝

相手の事を嫌いになりたくないから、自分が苦しくなりたくないから、逆に離れるという選択もある

相手がどんな気持ちなのか、なんて絶対にわかるわけはないのだから、そこを知ろうとしても意味がない

人間というのは自分の氣持ちを押し付けたい生き物なんだな。自分の「したい」をするために、相手の「したい」を否定しようとしている

だから、私も自分の選択をしてもいいんだ
相手の事を考えて自分の氣持ちを押し殺す必要なんて全くない


私も自由に生きているから、あなたも自由に生きて

そういわれたような氣がした。



一人でも多くの人が幸せ基準で生きれるように活動しています。頂きましたサポートはそんな人たちのサポート代に使用させて頂きます。