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明日があるーさ、明日がある…?

今日、この記事を読んだ。

「生存率1%未満。数カ月後には自分はこの世にはいないかもしれない」という状態を、リアルに感じたことはありますか? 今日は、そんな過酷さを経験した女性のお話です。34歳で出産と同時にがんが発覚し、ステージ4の末期がんで生存率1%未満の状態から生還し車いす生活を送りながら、当時働いていたメルカリに仕事復帰。そして現在、知的障害のある作家のアートライセンスを利用したビジネスを展開するヘラルボニーで活躍する海野優子さんには「死を間近に感じた」ことで、大きな変化がありました。

日経xwoman

グリーフケアを学び始めて7年。
学びの中で、仲間たちとの会話の中で、ボランティアの場や個人的にご相談を受ける中で、たくさんの「来ると思っていた明日が来なかった」お話を伺ってきた。自分の明日も来ないかもしれないのだ、ということを。

そして、ステージ0の超早期発見ではあったが、我が身にも病はやってきた。他人ごとではないのだ、本当に。

実はこれは、何をいまさらという話でもある。私たちは、生まれた時から死に向かって生きているからだ。
『人間はいつか死ぬ』
これは普段考える事がないかもしれないが、まぎれもない事実だ。

そして、それがいつなのかわからない、というのも事実。
平均寿命など、実は意味のない数字なのではないかと思うことがある。
世界の、日本人の、女性の、平均寿命はそうかもしれない。でも私のこの身体で、この環境で、この生き方で、どのくらい生きるのかはわからないのだ。

だからといって、一分一秒を無駄にせずに、幸せだと思えることだけをやって生きることは出来るのか?
想像してみたけれど、たとえそれが可能だったとしても(実際には不可能だと思う)、結局私は幸せに生きられない気がする。
幸せな方を選んで生きよう、が、幸せな方を選ばなきゃ、になって、しんどくなってしまう気がする。

私にも、一分一秒を無駄にせず、フルスロットルで生きていた頃があった。思えばそれは若さなのだろうか。
今の私は、無駄な時間こそ尊い、という感覚がある。
時間が有限だからこそ、それをなにも生み出さない、傍から見て価値のないことやぼんやり空を眺めることなどに費やしたとき、少しの罪悪感とともにとても幸せな気持ちになるのだ。
ああ、ある意味これが『幸せだと思えることをやっている』になるのか。

明日は来ないかもしれない、来るかもしれない。
でも、いつかはこの身体とサヨナラしなければいけない。
生き急いでも、のんびり生きても、それは変わらない。
だったら、結局は自分が今生きたいと思う生き方をすることしかできないし、だからこそ自分が今何を感じているかに敏感でいたいと思う。

それが心身一番健やかに、そして後悔のない生き方に繋がるのだと思うから。

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