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夢読みとグリーフ【村上春樹の小説から】

昨日、グリーフケアの講義を受けながら、ずっと頭の中に浮かんでいたイメージがある。

暗闇の中に弱く儚く灯る小さな光。
それを指でそっと触れると、光がふわっと広がって解放されていく。

どこかで見たことがあるイメージだと思った。あまりにリアルに浮かぶので、アニメだろうか、とも。
しばらく考えていたが全く思い出せないので、『光 触れる 解放 アニメ』などの検索ワードで検索してみたが、全くヒットしない。

小一時間考えていただろうか。突然思い出した。村上春樹の小説だ。『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』の、夢読みだ。
そこまでの経緯は割愛するが、夢読みとなった主人公は、一角獣の頭骨が記憶している人々の古い夢を、触れながら読んでいく。そのシーンが、かなりリアルなイメージで私の記憶に残っていたのだった。

小説の中のその世界では、人々は記憶を失っている。その記憶である夢を、夢読みは読んで解放していく。
30年以上前にこの小説を読んだ時には、村上ワールドの不思議をただ堪能しただけだった。でも、今の私が改めて読んだら、その夢たちはまるでグリーフだと思った。

私たちは生きていく中で、大小様々な喪失体験をする。それは死別だけでなく、離別、転居、人間関係、持ち物、そして時には肉体の一部だったりする。
それらを喪失した時の感情や想いを全て抱えていたら、人は喪失感で酷く苦しみ続けるのではないかと思う。だからこそ、人間は【忘れる】という能力を授かったのだ。

ただ、喪失の記憶はシコリのように、石のように、心の奥底の深い場所に残っている。それらは無意識の中にずっとあって、時折心を疼かせる。
グリーフワークの中で、全く覚えていないグリーフがフッと思い出されることがある。それを言葉にして語り、感情を認めることで、心は楽になり、肩の荷が一つ降りたような気持ちになる。

小説の中の夢読みがしていることは、グリーフワークなのではないか。そんな風に考えたら、ずっと頭に浮かんでいたビジュアルイメージとグリーフワークが重なって、鳥肌がたった。
そしてこれをこうして書き残せる場所を作ってあって良かったと思った。こういうことは、なかなか話す相手がいないから。

久しぶりに、本を取り出して読み直そうと思う。もう何十回も読んで、カバーが擦り切れている文庫本は、転居しても、結婚しても、子供が生まれても、ずっと手元にある。この日が来るのを待っていたのかもしれない。

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