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色とりどりの

居場所づくりの一環として、語り場、お茶会、交流会、といったものを主催することがよくある。そんな時、ただ話しましょう、おしゃべりしましょう、というのではなく、何かあまり難しくないクラフトや作業的なものをしながらのほうが、言葉が出やすいことが多い。
(そのうち話に夢中になって手が止まることもあるが)

最近は大抵、ぬりえを持っていく。オリジナルのデザインを単純なものから細かいものまで複数作ってあって、好きなものを選んでもらう。

ママ’sカフェでの作品

これはもともと、心理セラピーのセッション用に作ったものなのだが、セッションで使うデザインは今は1種類に決めていて、他のデザインはもっぱらこういう場で使っている。

大人用のぬりえの本やシートのようなものは、書店だけでなく雑貨店や100円ショップなどでも購入できる。それだけ身近なものになっているにもかかわらず、案外やっている人は少ない印象だ。忙しい毎日、そして娯楽が溢れている世の中、手軽で身近すぎるぬりえは、案外選ばれないのかもしれない。A5サイズのこれらのデザインは「ちょうどいい」ボリュームなので、みなさん楽しそうに塗っていかれる。

色彩は不思議だ。その時の気分がそのまま表れることもあるし、逆に反対の色調で無意識に自分を引き上げようとしていることもある。記憶に残っている何かの色調に影響されることもあるし、好きな色や好きな人のイメージなどに影響されることもある。それが意図的なこともあるし、無意識なこともある。
この色とりどりの曼荼羅模様について適切な方法で問いかけると、うまく言葉にできなかったことがするすると言葉になって出てきて、驚かれたりもする。色彩言語、という呼び方をするくらい、選んだ色は様々な情報や心情を語っている。

語り場のような場では、あえて塗った作品を深掘りするような問いかけはしないが、塗った後の参加者のみなさんの表情を見ていると、何となくそこから感じ取るものがあるのだろうと思う。そして結構な割合の方が、どこか愛しそうな表情をしている。自分の心を何らかの形で投影しているものだから、当然と言えば当然だ。そこで愛しいと感じられる方は、自分をないがしろにしないで大切にすることができるのだと思うし、そのことに気づいていただけるといいなと思う。

そして、このぬりえの塗り方に正解がないように、心の在り方に正解もない。あるのはただ、心地いいかどうかなのではないか。心模様はそれこそ何全何万種類の、色とりどりの色彩が織りなすもの。その時々の心模様を受け容れながら、慈しみたい。そして願わくば、心地よい時間が長くあるといい。

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