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人は見たいように見る

私はおしゃべりが好きだ。自分が話すのも楽しいけれど、人の話を聞くのはとても楽しい。人が書いたものを読むのも楽しいのだけど、できたら感想や感じたこと、考えたことを伝えて、もっと深く話したい。

同じものを見ても、同じ経験をしても、人は自分の角度から、自分のメガネ(フィルター)をかけてしかものを見ることはできない。客観的に見ようと努めても、それはとても難しいことだ。そして普通はそんなことは考えないことが多いから、ものすごく主観的に物事を見ていることが多いだろう。

主観的に物事を見ると言うことは、見たいように見ているということだ。自分にとってメリットのないように見える光景でも、それは自分がそう見たいから見ているのだとも言える。
おかしなことに聞こえるが、アドラー心理学的に考えると、行動や選択の時、必ずなんらかの目的があってそうしているはず。だから、メリットがないように見えることでも、何かしらの自分の目的を達成するというメリットがあるはずなのだ。

そしてもうひとつ。人が見たいように見るということは、相手がもし「わかった」と言っても、わかってない可能性が十分あると言える。いくら言葉を尽くしても、本当の意味で理解共感してもらえない可能性がそこそこある、ということになる。それは辛い。

そこで、どうせ伝わらないなら、どうせ勝手な理解をされるなら…と諦めるか、それでもいつか伝わるように伝え続けようと思うか。それは自分次第ということになる。

なんだか悲しい内容になってしまったが、これを書いている少し前に、私はとても幸せな時間を過ごしていたので、とても明るい気持ちである。
そう見えるかどうかは、あなた次第?
(いや、私の文章力次第だ・笑)

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