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運動会は何のため?

今日は息子の運動会だった。
最近の運動会のクライマックスは、クラス全員でバトンをつなぐ
「全員リレー」だ。
ひと昔前までリレーと言えば足の速い選ばれた子だけが走る
「選抜リレー」が主流だった。
それがいつからかクラス全員が走る「全員リレー」に変わってきた。

おそらく、足の速い子だけが活躍するのではなく
全員に“平等に”出番を与えるために考えられた策だと思われる。
しかし、これは果たして最善の策といえるのだろうか。
私は、見ていてとても複雑な気持ちになった。

運動が苦手な子や走るのが不得意な子たちも
順番がまわってきたら嫌でもバトンを持って走らなければいけない。
みんなが見ている前で、足の遅さをさらけ出さなければいけないのだ。
実況のアナウンスは当然ながら「赤組速い!今、赤が白を抜かしました!」
などと言い、誰かが誰かをが追い越せば会場は盛り上がる。
リレーは競争するのが目的だし、
勝敗があるからこそ面白いというのはわかる。
だけど、その競技を楽しめるのは
走るのが得意な人、あるいは
「走りたい」という意志のある人だけだ。

スポーツ選手は、自らの意志でその世界に身を置いている。
部活動だって、運動部に入るのは運動が好きな子たちだけだ。
それがなぜ、運動会となると
有無を言わさず全員を走らせて競争させるのだろうか?

そもそも競争なんてしたくない、
足が遅いからみんなの前で走りたくなんてないという子もいるだろう。
そういう子たちまで引っ張り出して
走らせて「競争させる」というのは、本当に酷だと思う。

いったい運動会の目的は何なのか?
教育的にも疑問を感じる。

海外では、このような運動会は行われないという。
そのかわり「Sports day」や「Field day」といった
体を動かすことや、スポーツを楽しむことを目的としたイベントが
行われるそうだ。

海外の運動会(的なもの)が「楽しむ」ことを目的としているのに対し
日本の運動会は「勝つ」ことが目的になってしまっている。
これはとても大きな違いだと思う。

さらに言うと、日本の学校では
たかが運動会なのに勝敗の演出があまりに大げさすぎる
と私は感じている。
うちの子どもが通っている学校の運動会では
どの競技でも「現在、紅組○点、白組○点です!」と
得点が逐一アナウンスされ、
得点を競わせることで盛り上げようとしている節がある。
勝ったチームには盛大に優勝旗が渡されるので
子どもたちは当然、競技そのものを楽しむことより
勝敗にこだわり、得点に一喜一憂することになる。
その結果、足の遅い子や運動の苦手な子が
プレッシャーを感じてしまったり
「私のせいで…」「僕のせいで…」負けてしまったと
負い目を感じることは容易に想像できる。

もちろん勝敗はあっていいけれど、
本気のスポーツ競技の大会ではないのだから
そんなに大げさにしなくてもいいのではないだろうか。

私が以前参加した地域の運動会は
ラケットの上に乗せたボールを落とさないように走ったり、
ペットボトルを半分に切ったものでキャッチボールをするなど
大人も子どもも笑いながら楽しめる内容だった。
運動神経の悪い私も、終わった後は爽快感に包まれ
「あ~、みんなで運動するのって楽しいな」と思えた。
もちろん勝ち負けはあるけれど、
勝つことが一番の目的ではなく、
体を動かすこと、みんなで楽しむことが最優先だったから
何のプレッシャーもなく、負けても楽しく参加することができた。

学校の運動会も
子どもたちに体を動かす楽しさを感じてもらいたいなら
純粋にみんなでスポーツを楽しむイベントや
気軽に楽しめるレクリエーション的な内容にしたほうが
競争にこだわるよりもよっぽど運動促進につながるのではないだろうか。

学校で教えるべきは、体を動かすことやスポーツの楽しさであって
苦手なことを人前で披露する苦痛を味わわせることではないはずだ。

「競争」や「勝敗」に重きを置きすぎず
もっと「楽しむ」ことを優先させてはどうだろうか。

コロナ禍で行事が開催できるだけでもありがたいことだとは思うが
せっかくならばこれを機に、
運動会の目的や意義をあらためて見直し、
新しい運動会のあり方、
より子どもたちが楽しめる運動会の形を模索してほしいと願う。



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