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富士五湖ツーリングを終えて


10月16日(月)

久しぶりに1日空いた平日に
どこに行こうかと悩んで、富士山に向かった。

夏の身延に行った後
バイクに乗るのは控えていた。

時間がなかったのもあるけど
ピアノが弾けなくなると困るから。

だから乗らないようにしていた。

やっと乗っても大丈夫。

バイクに乗るということは
事故に遭うかもしれないことと同義だから。

そう思っている自分は
今も事故のトラウマから
逃れられていないのだろうか。


書き始めるツーリング記事が
いつも途中で書けなくなってしまうので
今回は『書き切る』ことを目標に
最後まで書いてみた。

本当はサラッと全5回くらいで
終わるはずだったのに。

書き終えてみたら、その13。
倍以上に増えていた。笑

富士五湖なら一つの湖につき1話で
全5回のはずなのに。


今は、11月の終わり。
ツーリングからひと月以上経っている。

記事は旅を思い出して書いている。

ひと月経って思い出したことのほとんどは
道路と前を走る車のことだった。

ある場面を思い出す。

路面はどうだったか?
前に車はいたか?
どんな走りをしていたか?

そこには周りの景色があまりない。

走ることそのものがそんなに好きなのかな。

書き終えた記事を読んで
自分でおかしくなってしまう。

ソロツーリングと言いながら
車との駆け引きばかり書いているわたし。

あまりソロ=1人では走ってないように感じた。
こんな記事を読んで楽しいと思うんだろうか。


旅に出ること
その時感じたこと

その気持ちは人により千差万別で
同じ道のりを同じ時刻に走っていても
見えているもの、感じていることは
違うのだと思う。

そう思って今回も
何度も走り、書いてきた道を
また走り、文字に綴ってみた。

初めは、みんなも旅に出た気分に
なってくれたらいいなと思って
書き始めたツーリング記事。

バイクに乗ったことがなくても
バイクを操っている気持ちになり
風を切り、飛ぶように走る。

そんな体験をしてもらいたくて
感じたことを字にしたためてきた。

そう思って読んでくれるといいなと思いながら
書いていたけれど
今回思ったよりも周りのことを覚えてなくて
書けないことの方が多かった。

その時感じた風の温度。
周りの景色。空の色。雲の形。

何も記憶がない。
見ていない。感じていないのだ。


なぜなんだろう。

知らない道を走っていたからか。
時間に追われていたからか。

道に迷っていたから?
ガソリンスタンドを探していたから?

思い当たることはいくつかあるけれど

心が落ち着いていないと
心に余裕がないと
走っていても何も見えないし
感じられない。

そういうことなのかもと思った。


いつもは、忘れないうちに
ツーリングの感想だけ先に書いていた。

その時の気持ちのたかぶりを
覚えている間に文字として残していた。

それからツーリング記事を
ぼちぼちと書いていたけれど…

こうして、書き切ってから振り返ると
ツーリングを終えた時の気持ちとは
また違った感想を持つ。

面白いものだなと思った。


ツーリング記事は
「わたしが走っていたよ」という記録。

いつか走れなくなる時が来たら
「こんなふうに走っていたな」と懐かしく
振り返るための記録。

そういうことなのかなと
最近思うようになってきた。

そのためには、途中で終えた記事も
書き切らねば。

2年前の榛名と
1年前の富士山と千葉と。
今年春の九州と。


『よく覚えていますね』と
コメントをもらったことがある。

確かに2年前の榛名の帰り道を
記事に書けるくらい覚えているのは
変なのかもしれない。

でも、20年前のレースの
一部始終を今でも書ける自信があるほど
覚えている。忘れられない。

そう思うと、記録として書いても
実際は読まないのかもしれないな。笑


10/16の富士五湖ツーリングは
16時間も家を出ていた。

半分は休んでいたんだと思う。
うち1時間はバイクを磨いていた。笑

走行距離373km
予定では200kmのはずだったのに。

オドメーターは9,323km。
あと2回くらい走りに行けば
10,000kmになるかな。

記念の走りはどこに行こうか。


毎日走っていた頃は
半年あれば、10,000kmは軽く超えていた。

今は刻むように少しずつ増える。
走れない時間の方が多い。

富士山を一周したのは2度目のこと。
初めて回った時は一泊していた。


昔、手書きで作ったルートマップ
好きな道を全部つなぐ 笑
力尽きて白黒…笑

ツーリングをわたしが企画することになり
自分の好きな道をありったけつなげて
1人で考えたルート。

『こんな近くで一泊するのか?』

そう笑われたけど
みんな付き合ってくれた。

走りに覚えのある人たちばかりで
峠道を何度も往復してたっけ。

思えば、みんな上手い人たちだったな。
そして、わたしを女扱いしないでくれた。

あの時は湖巡りはしなかったな。
峠道ばかりつないで走っていた。

そういえば、帰りはどこを通ったんだろう。
もしかして道志みちを走ってたりして。

2日目の記憶があまりない。
1日目の記憶はあんなに残っているのに。


前は箱根から富士山に向かったけれど
今回は距離を詰めたくて直接富士山に向かった。

前は2日に分けて走ったルートを
1日で走ろうとしたから。

そして、ビックリ!
その時のツーリングで2日目に
精進湖の横を走っていた。

自分の書いた地図に矢印が書いてあった。

どこに行こうとしたんだろう。
北に向かうと甲府だけど。

ん?
ワイナリーに行ったかもしれない。
ほうとうは食べたなぁ。

今、書きながら色々と記憶が蘇ってきた。

帰りは中央道…のはずはないな。
もしかして、道志みちを走ってたりして。笑


1日目の峠道が楽しすぎて
そこの記憶だけが鮮明に残っている。

芦ノ湖スカイラインで休憩して
みんなとあのカーブを行き来したのが
本当に楽しかった。

マスツーリングはあまり体験していないので
数少ない記憶はずっと心に残るようだ。


今回、初めて通った道も
次に通る時はよく知った道になって
周りの景色ももっとよく
見えるようになるんだろう。

あれからひと月経って
ようやく心のギアが落ちて
周りをゆっくり眺められるようになった。

10月のあの頃は
やることがたくさんあって
それを空回りしている頭で采配して
こなしていくことで精一杯だった。

慌ててばかりいると
慌てたモードになって
今やっていることがおろそかになって
心が落ち着かなくなる。

9月からギアを上げて
がんばったまま10月に入り
そのまま突っ走ってやっと空いた1日。

それが、10月16日だった。


走っていて、肩が痛くなってきて
疲れているから古傷が痛むんだと
思っていたけれど…

帰ってきた翌朝には、鎖骨下あたりの皮膚が
一面にピリピリしてきて
肩の痛みはさらに増してきた。

事故の怪我の時とよく似た痛みだったけど
バイクに乗って再発するほど
酷使したつもりはないから不安だった。

なぜ?こんなに痛む?

翌日。脇の下
二の腕あたりに違和感を感じる。
湿疹が出ている。

これは…

皮膚科に行った。

症状と予想した病名を告げると

『その通り。帯状疱疹ですね』
と言われた。

やっぱりそうか。
わたしは、無理をしていたんだ。

『ストレスはありませんでしたか?』

何にストレスを感じていたんだろう。
やらないといけないことが多すぎたから?

「帯状疱疹はうつりませんよね?」
『はい。うつりません。
 ご主人とは別にかかったんでしょう』

実は、夫が9月半ばから
帯状疱疹で苦しんでいた。

痛みがひどい。
痛み止めが切れると痛みに耐えられなくて
4時間おきにバファリンを飲み続けていた。

あまりに痛みのひどい人は入院すると言う。

2週間かけて痛みが増し
2週間かけて痛みが和らいでいった。

その過程をつぶさに見ていた。
だから、自分の症状が帯状疱疹だと
すぐに気づいたのだ。

帯状疱疹になるほどのストレスを抱えて
わたしは過ごしていたのか。

病名を告げられて
ホッとしている自分に気づいた。

大変だったんだ。きっと。
必死にやっていたんだ。わたしは。

色んなことが走馬灯のように思い出される。

そのどれが一番ストレスで
自分にとって負担だったのか
その時は全くわからなかった。

ただ、これから2週間
夫が苦しんでいたあの痛みに
耐えないといけないのかと
覚悟を決めたのだった。


あれからひと月。
帯状疱疹はほぼ終わった。

わたしのかかった皮膚科は
抗ウィルス剤とともに神経痛の治療薬をくれた。
その薬を飲むと、痛みはあまり出なかった。

夫は、1週間仕事を休んで安静にするよう言われ
実際に仕事にならない体で
ずっと痛みに耐えて、家で安静にしていた。

わたしは、もらった薬のおかげで
安静にする必要もなく(なくはないんだろうが)
怒涛の10月を終えた。

毎年、10月はやることが多いのだ。
休んでいる暇がない。

ゆっくり動いて疲れ過ぎないようにして
(そもそも薬のせいで眠くなる)
症状が悪化しない程度に無理をして
10月が過ぎ…

11月の初め。無理をした。
熱が出た。過労だ。去年も出た。

帯状疱疹になり、ストレスに気づく。
熱を出し、過労に気づく。

やってみてやっぱり無理だったねとわかる。
その繰り返しで、今がある。


おかげさまで、まだ左肩が痛い。

それが帯状疱疹のせいか
古傷のせいかはわからない。

富士五湖を巡っていた時の肩の痛みは
古傷の痛みにしてはひどかった。

あれは、走っていた時から
帯状疱疹の痛みが出てきていたんだろうと思う。

あんなに痛いと
片手放しでしか走れないので
もう走ることはできないのかと
覚悟もしてみたけれど…

まだ、走れるかな?

10月末で切れるオーナーズカードも
更新してきた。

自賠責保険も5年入れた。

タイヤも変えた。
来月は定期点検に行ってオイルも変える。

冬になってしまったなぁ。

今年は遅れて今が見頃らしい紅葉に
行けない自分を恨む。

体は一つ。だんだん無理はきかない。

どうしても行きたくなったら車で行こう。

そう自分を慰める。


バイクは体も心も万全じゃないと
走ってもつまらないみたいだから。

バイクに乗って
周りの景色に心躍るくらい
体調を整えよう。

わたしに代わりはない。

たった一人のかけがえのない体。
かけがえのない自分なのだから。

走りに行けない間に
止まっているツーリング記事を再開しよう。

走っていなくても、頭の中で
バイクにはいつでも乗れるのだから。


いつも読んでくれる皆さま
長い長いツーリング記事を読んでくれて
ありがとうございました。

あと何話綴れるかわかりませんが
走る限り、書き続けたいと思います。

これからもよろしくお願いします。





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