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Love your Enemy

敵を愛す。これは考え方によっては完全に不要なものである。そして、なぜするのか意味がわからない。しかし、 聖書には「あなたがたも聞いている通り、隣人を愛し、敵を憎めと命じられている。しかし、私は言っておく。敵を愛し自分を迫害するもののために祈りなさい。」とあります。なぜなら主は愛だから。

みなさんは、どうしても愛せない人、憎みの情しか生まれないないあいて、生理的に嫌悪感を抱いてしまう相手、心の底からいなくなって欲しいと思う人はいますか?

私はいます。今までも何度かそういう方々には出会ってきましたが、1年ほど前からまた新しいタイプのどうしても一緒に協力できない相手と出会いました。その方とは同じバイトでした。特に、その方が悪いことをしたわけでもないし、許せないことがあることがあるわけでもありません。でも何かが引っかかって、生理的にうまく平安の関係ではありませんでした。その方が私だけにではなく人に対して取る態度がどうしても、私をそして他の同じ場所で働く友達にも不可解な気持ちにさせました。

主はいいます「平和を築くものは幸いだ」と。今まで私は人生の中でもそれを築こうと頑張ってきました。しかし、どういうわけか時期に合わせて主はいろんな人を私の周りに送ってくれます。しっかりコミュニケーションして、伝えないと多分相手はわかってないし。ただ避けてるだけだった私は最悪。

でも、その人のことを考えたくもないし、顔も見たくない、でも一緒に働かないといけないし。今はもう一緒に働いてはいないけれど、その人にとった態度が振り返ってみるとかなり酷かったし、そのままの関係で終わってしまった。今となっては後悔が押し寄せてきてしまいます。

でも、主の愛を、主の押し寄せる愛を知っているから、私を完全に覆う愛を示してくれたから、私はその人に愛を示すことを選びたい。主への応答として。とっても難しいけれど、まずはその人のために祈っていこうと思う。今はもう会うことはないけえれど。いつか、平安が生まれるように。

そしてもう一つ覚えておきたいことは、主はその人のことも愛してやまないということ。神様にとってはその人も宝物であること。神様は本当に一人一人のことをとてもとても愛していて、いつも肌よりも近くにいてくれているから。

みなさんがもし、人間関係で苦しんでいること、苦手な人と戦う状況があるならば、ぜひ神様に「助けて」「あなたの愛を私に私がわかるように見せて、経験させて」って。叫んでみてください。神様はあなたの声を一つ残さず聞いておられる愛の方だから。


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