見出し画像

医療マーケティング論④

地域包括ケアシステム時代の病院の役割

 最後の講義は、地域包括ケアシステムを目指す日本で、病院はどうすべきか、という視点で学びました。
  そもそも地域包括ケアシステムとは、と考えたときに、2008年当初は「要介護者が介護施設に入所して集団的ケアを受けるのではなく、本人の住まいに外部から医療や介護サービスを定期的に提供する仕組み」と定義されていました。介護保険によるサービス(共助)はもちろん、地域のインフォーマルな活動によるサポート(互助)も含めて、それらが有機的に連動すべきであると強調されました。
 以下に自助・互助・共助・公助を整理しておきます。

画像1

https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-12600000-Seisakutoukatsukan/0000053807.pdf

 この互助ですが、地域のインフォーマルなリソースなどを指すことも多いですし、地域ごとの取り組みとして素晴らしい互助の報告もあるのですが、正直「これってどの地域でも簡単にできることではない…」と思ってしまっていました。地域包括ケアシステムで互助のことが強調されている文面を見るたびに、なんだかモヤモヤしていたのです。
 地域ごとの互助をどうしたら良いか具体的に解決したわけではありませんが、互酬性と贈与をキーワードに互助を説明した文献を読んで、少しモヤモヤが解消されました。

互助についての考察

 互助=ボランティアのように思われることが多いことを前提に、この文献では「ボランティアは一方向的な贈与なのか?」という問いについて深く考察されています。
 健康に関わるサービスや支援を贈与と捉え、贈与が「単に親切心や利他的な気持ちからなされるのではなく、義務が伴うものであり、地位や名誉、道徳と関連している。すなわち、地位や名誉の保持、道徳からの要請などといったなんらかの理由によって贈与はなされなければならないものであり、いったん差し出されたら、相手はその贈与を受け取らねばならず、さらにはその贈与に対して返礼をしなければならない」という文化人類学からの視点で考えています。つまり、贈与されたら何かお返しをする→互酬性で概念化されたのです。

 確かに、ボランティアを行なっている側からしても、支援そのものは一方向的かもしれませんが、対価として直接的に何かを得ていなくてもやっていることの充実感や経験、ボランティアを通じた成長を得ていることは多く、それは「返礼」「報酬」ともとれるかもしれません。逆に、ボランティアを受けた側は、与え手が返礼を期待していないとしても支援を受けることで負債を感じたり、劣位に置かれた気持ちになったりすると言われています。
 奉仕や慈善活動など、家族のような親密な関係ではない社会的距離が遠い関係にある人々へ見返りを期待しない純粋な贈与を行うことは、世界宗教で見られる信念体系では違和感がないとされています。逆に日本では、恩や義理といった概念から、何かされたらお返しをすべきと考える傾向があり、一方向的なボランティアでは支援者と非支援者との間に上下関係をつくりかねません。
 実際に、厚労省の「地域包括ケアシステムの構築に関する事例集」でも、互助としての活動によって住民同士の相性や派閥の問題、支援者側の「受けれ入れてもらえないのではないか」という悩みなどが明らかになっています。

 自助・公助・共助が、均衡的互酬性という経済的な視点で説明できるのに対し、地域包括ケアシステムにおける「互助」は、サービスの与え手と受け手で互酬性が異なっているという違いも文献では指摘されています。

画像2

 地域包括ケアシステムにおける「互助」を具体的にどうすべきか、という解決には至りませんでしたが、互助に対するモヤモヤした感じをこの文献が言語化してれたと思います。

田所 聖志. 地域包括ケアにおける「互助」概念と贈与のパラドックス―互酬性を手がかりに. 日本健康学会誌 2018;84(6):187‒197

健康を取り巻く概念

 病院は「病気を治すところ」と認識されていますが、そもそも「健康」とは?という概念は様々な考え方があります。例えば、Smithが提唱した以下のモデルは、それぞれのモデルが重なり合って理解・認識されているものとして捉えておくことで、ケアを多面的に行うことができるのではないでしょうか。

画像3

Judith A. Smith 著. 都留春夫ら 訳. 看護における健康の概念. 医学書院; 1997.

 中間発表のところでも、地域包括ケアシステムにおける健康についての概念の重要性については述べました。

 最近も、健康の概念を意識してカンファレンスに臨んだ事例を経験しました。
 急激に体重が減少し、全身状態が悪化して入院するも、結果的に様々な医学的問題が複合的に影響して、フレイル・サルコペニアがかなり進行してしまったという事例でした。何か一つのことを解決すればいい方向に向かうというわけではなかったですし、様々な手をうっても望ましい結果につながらない可能性も高いと思われました。
 高齢患者さんの担当者会議や退院前カンファレンスなどに参加すると、医学的な問題の多くが容易に「治る」ものでないことが多く、かつ(なぜか)そういったカンファレンスでは「では先生から病状について説明してもらいます」と最初にしゃべるよう誘導されることが多く、どうしてもネガティブなところからスタートしてしまいがちです。
 こういった際、健康モデルを意識したカンファレンスが有用かもしれません。

 ここでの健康モデルには、個々人の希望や持っている能力だけでなく、社会決定要因や政策・環境のことも含まれます。この中で疾病や身体機能に関することは、個人の中のあくまで一部でしかなく、そこばかりに焦点を当てたカンファレンスではどうしても患者さんにとってネガティブなものになってしまいます。
 そこで、患者さん個人の持つ能力も良い面に注目したり、社会決定要因で健康に影響を与えているものがないか評価したりして、より広い意味での健康に焦点を当てることで見えてくるものがありそうです。

まとめ

 15回にわたる「医療マーケティング論」、最後は地域包括ケアシステムをより深く振り返り、理念や健康への認識といった根本的なところに注目して学ぶことができました。当たり前のように口にしていた「地域包括ケア」ですが、より本質を理解して現場に活かしていかなければと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?