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4月の憂鬱に、Google Earthとプチ哲学

4月に入り、東京はようやくあたたかくなってきた。分厚いコートを脱いですこし薄着になった肌にあたるぬるい風や、植物の気配のあるすこしほこりっぽいにおい、あたたかい日差しをあびた桜の花の生命力、新社会人たちの新品のスプリングコートの張りを見ては、すこし憂鬱な気分になる人も多いのではないかと思う。季節の変わり目のなかでも特に冬から春になるときの変化は、まるですべてが変わるようで、ついていけない人が多いのもよくわかる。


思い出すのは、娘のあーちんが小学生だったときのことだ。彼女の学年は2クラスしかなかったので、毎年クラス替えをしてもあまり顔ぶれに変化はない。新しい出会いにワクワクすることもない中で、それでも毎年4月に担任の先生も変わり、仕切り直す。小学校で仲のよい友達ができなかった彼女にとって、毎年4月はけっこう気の重い時期だったようだ。

ある年の4月に、わたしはあーちんにGoogle Earthを見せた。画面上の自宅からスタートして小学校までを見せ、そこからすこしずつ範囲をひろげてみせた。以前住んでいた街、旅行で行ったことのある県、行ったことのないところまで。範囲をひろげていくと、自宅や学校はどんどん小さくなる。それを見ながら彼女に話をした。

「これからおとなになっていくにつれて、行動範囲がどんどんひろがって、関わる人の数もどんどん増えていくよ。でも、自分がいるところがどんな場所かっていうのはこどもの真っ最中にはわからなくて、あとから振りかえって、せまかったなーと思うんだよ」

「せまいなかで少ない人数から仲のいい友達ができなくても、範囲がひろがると、仲よくできる人に会える確率が高くなるよ。でも、せまい範囲でひとりひとりをちゃんと見ることができないと、範囲がひろがったときに急にできるようになるわけじゃないし、むしろ人数が増えるとひとりひとりのサイズがちいさくなったように感じてしまう。そうならないためには、どんなにせまくても広くても、常に自分と相手の1対1なんだと思うことが大事だよ。目の前のひとのことをちゃんと見られるようになってね。世界はひろいけど、どんなに遠くに行っても、”わたしとあなた”しかないからね」

未来の明るさを見せたかったのと、同時に、未来は今と別のものではなくて、そこに続く道は現在の足元からはじまっているということを伝えたかった。伝わったかはわからないけれど、あーちんは神妙にうなずいていた。


とはいえ、のこり数年を同じ環境ですごすということが、こどもにとっては「ほぼ永遠」だということもわかっていたので、わたしはあーちんに1冊の本を渡した。

『プチ哲学』佐藤雅彦 

この本には、マンガやかわいいイラストとやさしい文章で、ものごとをいろんな角度から見るようなヒントがたくさん書いてある。(『ピタゴラスイッチ』などでこどもにもおなじみのイラスト)

状況が変えられないとき、変えられるのは「考え方」だと思うので、この本を読んで、どんな環境や状況でもおもしろがれるようになってほしいという思いをこめて渡した。この本は中学生になった今でも彼女のお気に入りの1冊で、「いろんな方向から考える」ということが、勝手に訓練されたかもしれない。

たとえばそのうちのひとつがこれ。

これは、「情報」をいろんな方向から見て、どの立ち位置からも想像して考えることができないと、わからない。

(さて、わかりますか?)

おおきな区切りや新しい環境で待っていることは、いいことばかりではないかもしれないけれど、どこにいっても大丈夫だと思えるには、「視野(ズームイン/アウト)と視点(角度)のコントロール」ができるといいよ という話。

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