生まれてこのかたずっと暇
#8月31日の夜に に寄せて
10代のころのわたしは、家にいても「あー帰りたい」と(どこへかはわからないけど)思っていて、学校にいくときは「あー行きたくない」、学校にいると「あー帰りたくない」と思っていた。つまり、どこにいてもなにをしていてもいやだった。たぶん今思うと、わたしはいつもそんな顔をしていたんだろう。
小学校の担任には「なんでもっと子どもらしくできないかなぁ」と言われたし、中学の部活の顧問には「なんだその目は」とよく言われた(何も言ってないのに!)。両親からも同様に大人をイライラさせる特有のかわいげのなさについてはよく指摘された。
だから(とひとことで言うのは本人でも憚られるけど)、小学校でも中学校でも心からわかりあえる友達はできなかったし、学校で嫌がらせをうけたり無視されたりといやな目に合うことも少なくなかった。
基本的に同級生のことを「わかりあえない人」として見ていて、早い話がバカにしていたので(たぶんそれも顔にでていたんだろうな)反応しないように努力していたけど、あまりにうっとおしいとつい反撃したりもした。
牛乳を飲んでいるときに背中を押されて(牛乳がきらいだったので飲むだけでストレスなのに!)吹き出し、頭にきて、真顔で残りの牛乳を背中を押した子の頭からかけたりした(ちゃっかり飲まずにすんだ)。今思うとファンキーでかわいいなと思うけど、同級生からするともちろんかわいくはない。
そのころ何を思っていたかというと、とにかく早くおとなになって自分でお金を稼いで自分の好きなようにしたかった。10歳のときにはもう「はやく一人暮らしをしたい」と思っていたほど気持ちはいつも先にあった。せっかちは性分だなと今改めて思う。
10歳からすると18歳までの時間は途方もなく長い。果てしなく遠い。わたしのいちばんの悩みは「暇」だった。学校にいても部活でヘトヘトになっても同級生とおしゃべりしていてもとにかくいつも「暇だ」と思っていた。
せっかちで「早く大人になりたい」という気持ちが「自分のいるべき場所はここではない」と思わせて、心ここに在らずで地に足がついていなくて楽しむことができなかったのだろうけど、そのときはとにかく暇で、ただ時間が経つのを願ってやりすごすしかなかった。
どうやってやりすごしていたかというと、本をたくさん読んだ。
近所の図書館で借りて、なんでも読んだ。じっくり読むものもあったけど大体は勢いで読んだ。食べ方でいうと過食のごとくただただ読んだ。
そんな読み方だから、読んだのに内容を覚えていないものもあるのだけど、ときどき本の中には驚くほど気があう人がいたし、ヘンでおもしろい大人がいっぱいいた。その人たちの物語を通して自分以外の人の感情を知るのはとてもうれしくておもしろいことだった。
なんで人に嫌われるんだろう。家族にも同級生にも部活の先輩にも先生にも嫌われるし気が合わない。どこかに気が合う人なんているのかな。と不安だったけど、吉本ばななさんの『TUGUMI』のつぐみはすっかり友達だったし、『キッチン』のみかげの孤独をうらやましがり憧れた。
大人になれば、大人にさえなれば大丈夫だと思えた。
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時間をやりすごし続けて無事に大人になった今でも、「あー帰りたい」とよく思う。ぜんぜん思う。それから、今でもいつも暇だ。基本的にはなにも変わらない。
ただ、気があう人はたくさんいた。
本の中ではなくて現実に見つけられたのは30歳を過ぎてからだし、本の中に憧れた大人のような自由はそう簡単に手に入らないけど、「はやく大人になりたい」と思っていたわたしはカンがいいなと思う。大人になればなるほどおもしろいからだ。
もちろん大人になってもしんどいことは山ほどあって、いつか逃げたはずの問題が手を替え品を替え何度も目の前にあらわれる。子どものころの問題も今でもずっと追いかけてくる(恐ろしいけど事実だ)。
あーいやだ、帰りたい。あー暇だ、満たされたい。
そんなときには今でも、本を読んでやりすごす。
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