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『木皿泉』に見る、わたしのすきな夫婦のかたち

木皿泉という脚本家がいる。

ドラマ『すいか』『野ぶた。をプロデュース』『セクシーボイスアンドロボ』などを手がけており、『木皿泉』とは、和泉 務さんと妻鹿 年季子さんの共同ペンネームだ。

わたしはこの脚本家のドラマがだいすきで、書いたのはいったいどんな人なんだろうと思っていた。のちに発売されたエッセイ『二度寝で番茶』でおふたりが夫婦だと知った。和泉さんは2004年に脳出血を煩い、妻鹿さんは2007年にうつ病を発症され、その年にご結婚されたというので驚いた。(当時、和泉さん57歳/妻鹿さん50歳)


わたしは「ひとと比べない」という考えを大事にしているので、あまり誰かを羨ましいと思うことがないのだけど、この本を読んだとき、わたしはこのご夫婦のことをものすごく羨ましいと思った。

この本は、和泉さん(大福ちゃん)と妻鹿さん(かっぱさん)の会話形式ですすむ。

とある章で、こどもの頃は土だった家の前の道がアスファルトになったときのことを思い出し、あの頃、田中角栄の「日本列島改造論」により国の発展のために道が一直線に目的地へ急ぐためのものになってしまったのだと話す。

かっぱ:でも考えてみたら、どんな道も最後は行き止まりなんじゃないですか?葉っぱの葉脈も、体を走る血管も、最後は行き止まりでしょう?つまり、どの道を選んでも同じということです。人はいずれ死にますからね。

かっぱさんは、ご両親がいっぺんにガンになり、死ぬってどういうことかを考えていたときに、旅行先のタイで、お坊さんが夜明けに東から刺すお日様の光にむかって裸足でひたすら歩いているのを見て、あーそうか、生きるってそういうことなんだ、明日に向かって、ただただ歩いていくことなんだ、と腑に落ちたと言う。


大福:死ぬことを考えていたら、生きることがわかったんですか?

かっぱ:死ぬってそんなに悪いことじゃないって。で、日本に帰ってきて次の日の朝に大福ちゃんのお母さんが急に亡くなったんですよ。(中略)なんか実感なくて、まだ旅行の続きで飛行機を待ってるような気分だったなぁ。

大福:タイで真っ黒に日焼けしてて、喪服が似合ってなかったですからね。

かっぱ:私、あの時からずっと旅しているような気がする。大福ちゃんとふたりで。

大福:どこまで行きましょう?

かっぱ:もう道がないというところまで。

大福:いいですね。道中、うまいもんでも食いましょう。


もう、よすぎて吐きそうだ。

この本を読んで(2013年)、わたしは「結婚」や「夫婦」について、はじめて興味をもった。元来の把握癖で「つまりそれはなんなんだ?」と考えるようになった。結婚に対してわからなすぎて、もはやなんとも思っていなかったけれど、こんな夫婦がいるんだ、と衝撃をうけ、こんなチームになれるなら、結婚って最高なんじゃないかと思えてきた。


どんな道を選んでもどうせ終わるんだから、道中をたのしくすごし、おいしいものでも食べながら、見えた景色を報告したりして、とりあえず明日に向かって歩く仲間、そんなの超ほしいって話。


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