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シングルマザーのクッキー屋の話

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シングルマザーの貧困や苦労話じゃなくて、こうやって楽しくやってきたよという希望の話。
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2016年1月の記事一覧

シングルマザーのクッキー屋の話【仕事とわたしのこと⑦】

さて「アイシングクッキー屋さんをやる(でもまだ作ったことない)」と決めたら、その後はそこから広がる選択肢と向き合う作業を重ねた。 お店屋さんというのは、どんなものを扱うお店でも決めることは同じで、「どこの、だれに、なにを、いくら分売るか」だと思う。 変幻自在のそれを、譲れない優先順位や、逆に変えられないことから逆算していく。 たとえば実家など場所が決まっている場合は、その場所で何ができるか考えなければいけないし、全国に店舗展開をしたい場合はそれ相応の知識や資金が必要だし、

シングルマザーのクッキー屋の話【仕事とわたしのこと⑧】

やることが決まって、規模も決めて、必要な面積もわかった。 売上げから妥当な家賃も決まっているけれど、自宅の近くでは高いしどうしようかなと思って近所の不動産屋さんに相談に行ったら、賃貸には出していないのだけれどちょっと見せたい物件があると言ってくれた。 自宅兼店舗の建物で、2階が住居で1階の店舗部分でトンカツ屋さんを営んでいたが、旦那さんが亡くなってからお店を閉め、その後は倉庫として貸したりしていたという。 大家さんが2階に住んでいるので、1階であまり毎日騒がしくされるのも大

シングルマザーのクッキー屋の話【仕事とわたしのこと⑨】

具体的なお店ができるまでのことをとりとめもなく書いてきたけれど、根本的な考え方をちょっと書いておこうと思う。 別記事で「ほんとにそれで委員会」について書いたように、もともとある仕組みや方法に、なんでその方法なの?本当にそれしかないの?と問いかけるクセがあり、お菓子屋さんについても常にそういう問いかけの視点で見ていた。 15年間業界を見てきて、パティシエブーム(企業やイベントとコラボや雑誌の特集など)、百貨店の特設会場での催事ブーム(はなまるマーケットおめざフェアなど)、お

シングルマザーのクッキー屋の話【仕事とわたしのこと⑩】

わたしは専門学校を卒業してから、お菓子の業界でばかり働いていて、友人や知人の職業もお菓子屋さんや飲食店のひとばかりだったので、いざ独立して自分で何かをやろうと思った時に、さてどうしたらいいのか、一個もわからない状態だった。 会社で働く以外のやり方があることは知っていたけれど、近くにそんなひともいないし、何もわからなかった。 会社を辞めることが決まってから、退社まで2年間の猶予があるとはいえ、途方に暮れていた。 そんなとき、わたしがよく通っていたカフエマメヒコで店員さんとおし

シングルマザーのクッキー屋の話【仕事とわたしのこと⑪】

個人店や小さな規模のお菓子屋さんで働いているとき、パティシエという仕事の、その労働時間の長さや力仕事の多さに、体力勝負の仕事だなあとつくづく思っていた。 女の子がなりたい仕事だけれど、その過酷さに、女性で長く続けられている人は少ない。数年間必死で頑張って、力つきてしまう。 お菓子屋さん(洋菓子)の仕事は、夏はヒマで、冬はクリスマスにバレンタインデーにホワイトデーと立て続けに忙しく、その差がとても激しい。 わたしが働いていた当時は、バレンタイン前の3週間は、睡眠時間3時間の

シングルマザーのクッキー屋の話【仕事とわたしのこと⑫】

お菓子屋さんの苦労はたくさんあるけれど、もちろんよろこびもたくさんある。 わたしが会社(某チョコレートショップ)を退社すると決めてから、さて何をしようと考えていた時期に、仕事でフランスへ行くことになり、その時にご一緒したのが、六花亭の小田副社長と開発の石田さんだった。 もともと大好きなお店だったけれど、道中、六花亭のいろいろなお話を聞いて驚いた。 同業者同士の話だと思ったらとんでもない。それはお菓子への愛だけでなく、北海道へ、スタッフへ、歴史へ、そして未来への愛の話だった

シングルマザーのクッキー屋の話【仕事とわたしのこと⑬】

高校3年のとき、進路を製菓の専門学校に決めると、当時の家庭科の先生に呼び出されて、ものすごく反対された。 「お菓子の世界は洋菓子も和菓子も縦社会で修行の世界だから、あなたには向いていない」と。 どうして修行ができないと思うのか、わからなくて質問すると、「あなたは納得しないと人の言うことが聞けないでしょう。人の下で働くのは無理よ」と。 このことは最近まで忘れていたのだけど、思い出したときは笑ってしまった。実にそのとおりだから。 しかし、結果的に17年間、お菓子の業界で続ける

シングルマザーのクッキー屋の話【ほぼ日とわたしたちのこと①】

クッキー屋と直接関係ないしなーと迷ったのだけど、書いているうちにやっぱり切っては切れないと思ったので、ほぼ日(ほぼ日刊イトイ新聞)とわたしとあーちんのことを書いておこうと思う。 今や、あーちんはほぼ日での連載歴3年半(くまお、たべびと)だけれど、もともとはわたしもあーちんもただの読者だった。 ただの読者だった2011年3月、退社まであと半年という時期に、東日本大震災が起こった。 地球にビンタされたわたしたちは、優先順位のオバケに取り憑かれ、自分の人生で何が大事なのか、仕

シングルマザーのクッキー屋の話【ほぼ日とわたしたちのこと②】

あーちんが小学校に入って、今の小学校事情について観察していたら、わたしたちが小学生だった時と明らかにちがうな、と思うことがあった。 わたしが小学生のときは、クラスメイトのだれが字が上手だとか、勉強ができるとか、鉄道に詳しいとか、絵が上手だとかを知っていたけれど、あーちんはわからないと言う。 彼女が周りに興味がないのもあるけれど、例えば、演奏会などでもピアノが弾ける子が伴奏をするということはなく、高学年でも先生が伴奏をする。ピアノだけではなく目立つ楽器を使わず均等な出番になる

シングルマザーのクッキー屋の話【ほぼ日とわたしたちのこと③】

ほぼ日で、あーちんの「くまお」の連載がはじまってから、月に2回くらいの頻度でほぼ日の事務所に直接おじゃまし、原稿を手渡ししていた。 あーちんがほぼ日のみんなに会いたいのと、作品を見てもらったときの反応を見たいという気持ちがあったので、それならばと会いに行っていた。 はじめて顔合わせをしたときこそ「この後はみんなで遊べる?」などと言っていたあーちん(当時9歳)だったけれど、何度も事務所に行く度に、いろんなことをよく見て吸収していた。 まず、みんなおしゃべりしたり遊んだりパソ