山登り人生vol64祖母山系縦走
25歳。娘誕生。山岳会入会5年目。
6度目の祖母山系でした。
祖母傾縦走は2度経験しているが
上畑から大障子方面への入山は初めてです。
西穂高岳冬山合宿に向けてのボッカ訓練でした。
タイトル写真は天狗岩から見る大障子から障子岩の尾根。
No167祖母山系縦走(大障子~祖母山~天狗岩)
昭和49年11月22~24日 M、Yと私
22日佐世保20:30⇒
23日01:10上畑8:00→障子岩手前∼大障子14:00→16:30池ノ原(幕営)
24日出発7:10→祖母山9:30→天狗岩10:40→黒金尾根→奥岳渓谷11:40
→13:00尾平バス停15:30(バス)⇒上畑16:25⇒21:45佐世保
大障子から池ノ原
22日立野のラーメン屋に寄って上畑まで直行。
竹田からの道も大分良くなった。
ツエルトを被って1時半頃寝る。
23日朝はやはり疲れが残ってか、中々シュラフから出る気がしない。
7時出発の予定が8時となる。
登山口の農家で米2合半をいただいて出発。
1∼2合目は紅葉であるが、それ以上は落葉している。
1ピッチが過ぎた頃より道が分からなくなり、とうとうザックを置いての道探しとなる。
30分のロスで稜線上の道に出る。
スズ竹を掻き分けて見晴らしが利く岩場で休憩、再びスズ竹の中に入る。
左手の尾根の合流点から、
またキツイ登りとなり大きなピークを登り切ったら障子岩であった。
祖母山から縦走して来たと言う2人パーティーに会う。
ルートの悪さを嘆いていた。
障子岩はすっきりしたピーク。
英山の岩稜のような尾根を登るとピークに立てるようであったが省略して大障子岩に向かう。
雨が最近降っていないせいか、阿蘇の噴煙のせいか、
スズ竹の葉に埃が積もっていて掻き分けるたびに舞い散って、
顔中ザラザラで鼻の中まで真っ黒である。
大障子は三つ程の大きな岩峰があり、ルートも悪く針金等を張ってある。
一ケ所は道が大きく崩れ、その下は壁となっていたようである。
ここら付近より霜柱が見られるようになって、
岩陰にはツララも下がっている。
随分と気温も下がっているようだ。
ようやく大障子に着く。
食糧計画も冬山西穂に合わせやっていたが、
行動食はやはりボッカ時は少ないようで、ここでは補食の甘納豆、きりごまを出したが直ぐ無くなってしまった。
大障子岩峰からの展望は最高であったが寒くなったので、
八丁越への下りにかかる。
祖母までの予定であったが、時間的に見て池ノ原泊まりとする。
ゆっくりと夕食をとり、ウィスキーを飲む。
心地よい疲労感に浸りながら19時半頃シュラフの中に入る。
外はミゾレのようである。
祖母山~黒金尾根から下山
24日、気温も大分と下がった。
スズ竹の葉も水滴が凍っている。テントを畳む手が冷たい。
馬の背手前から霧氷が見られ、素晴らしい眺めである。
八ミリカメラを持つ手が痛く、タオルを巻く。
小屋では、佐藤さんが火の傍で酒を飲んでいた。
ひと講釈彼の演説を聞く。
先日小屋の前に干していたゴザが盗まれたらしく、テント族を非難する。
自然を守ろう守ろうと言いながら大便はあちこちで。
猫より悪いとはいささか胸が痛む。
人間とはこうゆうものなのか。
黒金尾根は1時間で下る。
冬山用の標識竹を採る間に、Yさん行水。これにはびっくりした。
紅葉山荘に13時着。
小型バスは15:30なのでゆっくりとビールを飲み、
山荘の前で昼寝で時間を潰した。
バスは上畑まで110円、朝2便(7-8時頃)とこのバスだけである。
ここまでの祖母山系
1No27神原∼祖母山∼九折小屋∼傾山∼三ツ尾∼鉱山跡∼上畑
昭和45年10月8~12日 職場山岳部の仲間5名
初めての祖母傾縦走4月23日投稿
2No43祖母山系(神原~祖母山~傾山~上畑)
昭和46年3月25~28日 3名
3No54夏山合宿(祖母山系)
昭和46年8月12~14日 6名
ハプニングの祖母山系5月28日投稿
4No97祖母山系奥岳渓谷
昭和47年8月13~16日 2名
初の奥岳渓谷6月7日投稿
5No125奥岳渓谷での救助活動
昭和48年8月11~14日 6名
奥岳渓谷での救助活動 6月13日投稿
この後、昨年度までに24回入山しています。
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