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山登り人生vol39ハプニングの祖母山系

22歳、地元山岳会に入会して2年目。
いろんなことがありました。
気になる新人が入会してきました。
この山行の一年後には、その方と結婚していました。
思い出のハプニング山行です。
この記事は2014年に思い出山行として纏めたものです。

No54夏山合宿(祖母山系) 

昭和46年8月12~15日 
F、S、K、KA、I(今の奥様)と私
12日佐世保20:49⇒鳥栖23:57⇒1:20熊本5:44
13日竹田8:30(タクシー940円)⇒白水吐合川9:30→ルート不明藪漕ぎ→沢13:15→稜線15:25→(天気図作成16:00)→17:10宮の原(ビバーク)
14日出発5:20→祖母山6:35→黒金尾根分岐7:35→川上出合9:50→尾平→上畑・13:00長谷川14:40(タクシー1,180円)⇒15:20竹田18:12⇒熊本21:49⇒
15日鳥栖1:41⇒早岐⇒大村6:50⇒黒木→金泉寺往復⇒佐世保

8月12日 佐世保を出発
 

20時30分佐世保駅に集合します。
皆さんバタバタして集まって来ました。
Fさんは団体交渉で大変だったとか。
新人Iさんは、親父さんの反対を押し切って出て来たとか心配です。
鳥栖駅からの下り、寝台列車23時57分発は超満員です。
冷房が効いている寝台車に乗込みますが、直ぐ車掌から追い出されました。
一時間半、熊本駅まで立ちぱなしでした。

8月13日 遭難一歩手前

熊本駅構内は客待ちのタクシー運転手や旅館引き込みの人達が目立ち、私達と同じ山ヤが横になっています。
豊肥本線大分駅行発5時44分まで、仮眠となりました。
I、 Kさんは全く眠れず、
KAさんはエアマットでゆっくり眠ったようです。
乗車してようやく安心してウトウトとします。
宮地駅に着く頃、食事を摂りました。
阿蘇五岳も外輪山も雲の中です。

「荒城の月」が流れる竹田駅は、客の流れに押されながら外に出ました。
タクシー2台に分乗し登山口へ移動します。
神原から左に折れ白水部落を過ぎて、八丁越とメンノツラの分岐点の橋まで入りました。
橋から南東方向に見えるのが大障子岩のピークでしょう。
経ケ岳を小さくしたような姿です。
このピークが此れほど遠くになるとは誰も考えませんでした。
歩き始めて直ぐ、ルートを外していました。
一旦はルートに戻りますが、次第に尾根から離れ遂には沢に入り込みルートを見失いました。
この沢で京都大学ワンゲル部員と友人の二人パーティーに出会います。
彼らも二日がかりで彷徨っていました。
地図では沢と尾根の中間にルートがあり、上部でこの沢を横切っています。
覚悟を決め藪に突っ込みます。
木々に掴まりながら急斜面を登ります。
かすかな踏み跡がありますが、沢に下っています。
再び大障子岩が望まれましたが、何と遠くにあるのでしょう。
もう12時は廻っていました。

ネット借用。遠くに眺めたのでしょう。

一旦ザックを降ろし、手分けして路を探します。
途中人の声がしたようで元気が出ましたが、
プッツリ途切れガッカリします。
急に空腹を感じ食パンに噛り付きました。
喉を通りません。
一個80円で買わなかったレモンが欲しくなります。
食事が終わり地図とにらめっこしていると、
京大チームが道を見つけとコールして来ました。
直ぐ横にしっかりした道があったのです。
何度か曲がりながら登ると沢に入り、二俣となっていました。
左にケルンがありますが道はなさそうと右に進みます。
八丁越より右に離れて間違いと考えましたが、そのまま押し通しました。
お陰で面白い沢登りを愉しみました。
 
しかし、二つの事故が発生しました。
一つは落石がKさんの左足を襲いました。
二つ目は京大生の一人が不安定なガレ場で重い荷物にバランスを失い5m程滑落しました。
樹木に前頭部を強打したようです。
外傷はなく少し鼻血が出たぐらいでした。
頭を冷やしたりして暫く休んだ後、最後の熊笹の藪を漕ぎ稜線に出ました。
 
池の原で彼らと別れ先に向かいました。
縦走路も熊笹が覆っています。
先ほどの雨でズボンや上着はびしょ濡れです。
16時になり見晴らしも良く天気図を執ることにしました。
明日の天気は大丈夫のようです。
尾平への分岐宮の原に17時10分到着します。
当初からビバーク予定で尾平側に少し下り整地を始めました。

2019年8月時、宮の原

炊事を始めようとしたら水が一回分しかないことに気づき、K、Iさんと私の3名で池の原に水汲みに下りました。
尾平側に冷たい水が流れていました。
池の原には京大生がテントを張っており沢登りでお世話になったと、食事を勧めてくれました。
食べたり飲んだりと時間を忘れて愉しんでいました。

19時近くになり陽も落ちました。
心配になったFからコールが届きました。
慌てて戻りますが近くまで来ておられました。Sもやって来ます。
KAさんは一人ローソクも点けなくてツェルトで待っていました。
夜20時、遅い夕食を摂りますがあまり食べられません。
今、考えるととんでもない行動で懲罰ものです。

12日はKさん、15日はIさんの誕生日です。
ささやかながら他のメンバーからプレゼントを贈りました。
木陰から覗く星空を眺めながら山の歌を歌い山を語ります。

今夜は天狗の岩屋、明日は傾山頂泊りの予定でしたが、変更も余儀なく黒金尾根からの下山を決定しました。

8月14日ハードな一日

夜半の冷え込みは厳しく、あまり寝付けませんでした。
シュラフカバーがないFやIさんも寝付けなかったようです。
4時起床、味噌汁を作り京大生がら頂いたご飯を食べて出発します。
京大生のコッフェルは、宮の原のベンチにお礼のメモとともに残しました。
馬の背からの展望は圧巻でした。

2011年10月時の馬の背から祖母山を望む。

祖母山頂に立つと、阿蘇方面は素晴らしい雲海でした。
雲の流れが稜線を越え、尾平側に流れ落ちます。

当時の写真。祖母山頂

素晴らしい。時折、岩峰が現れます。
九重連山に目を移すと、三段のレンズ雲がかかっていました。
ここからの縦走路は大変でした。
黒金尾根の下りも草木が覆い露払いが暫く続きました。
天狗の岩屋を過ぎると歩き易くなりましたが、急な下りの連続です。
沢音が聞こえ暫くして川上渓谷に着きました。

2019年8月時の川上渓谷吊端

約一時間の休憩を取って尾平に向かいました。
尾平鉱山跡の赤茶けた岩屑の堆石場は、灼熱の太陽をまともに受けています。栄華の後の寂しさを感じる風景が広がっています。
上を見ると祖母、天狗、烏帽子岩、障子と続く岩峰群のスカイラインは素晴らしい眺めでした。

2019年8月の尾平からの展望

尾平を過ぎると砂利道の連続でした。
照りつける太陽に左下を流れる奥岳川が恋しくなります。
右岸から左岸に橋を渡ります。
障子岩からの尾根を大きく廻り込むと上畑バス停に着きました。
尾平から約3時間のアルバイトでした。
バスは16時発、待ち時間が有り先の長谷川部落まで下ります。
雑貨店でビールを買い求め喉を潤し、生き返ります。
結局、タクシーを竹田から呼び、到着まで飲んだり食べたりとゆっくり過ごしました。 
竹田で風呂に入り食事を済ませて、18時12分汽車に乗り込みます。

2019年10月時の豊後竹田駅

FとKさんは直ぐダウンし寝てしまいました。
後の四人は歌ったりトランプしたりで、熊本までの車中を愉しみました。
20時41分熊本駅着。
乗り継ぎの時間で喫茶店に行きますが、Kさんは落石が当たった足が痛むらしく駅で皆を待つことになりました。
熊本駅から乗車すると皆熟睡し
鳥栖乗換えは気づいたKさんだけでは起こせず車掌も手伝ったようでした。
鳥栖駅でも2時間の待ち時間で、Fさん購入の球磨焼酎で時間を潰しました。

8月15日多良岳へ。

1時41分鳥栖発。
長崎・佐世保行きの列車も凄い混みようです。
連結部分に立ったままで暫く走りました。
一日早く下山したので早岐で皆さんと別れ、
Iさんと二人多良に行くことにしました。
大村線に乗り換え5時40分大村駅到着。
車中、話が弾みます。
バスの待ち時間でも眠り、車内でも熟睡します。
黒木バス停の野村商店に、大きなザックを預けてサブザックで金泉寺を目指しました。
金泉寺山の家にはH先輩、SIさんが居ました。
経ケ岳南壁を登る予定だったそうです。
腰上がらず、SIは下って行きました。
朝飯はおばさんにお世話になり、暫く横になりました。
Iさんは元気にキャッチボールをしています。
15時近くになってIさんが下りたいと言い出し、泊まりモードからH先輩を残し下山となりました。

当時の金泉寺山の家。

この頃、他の山に登っても日程に余裕があると、金泉寺に向かっていました。

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