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その先の車窓を生きている。

日本を離れ、別の国の山奥で暮らしている。
経済発展が著しいこの国にも、まだまだ狂犬病や風土病が残っている。
だが、それらを診察できる医療は十分に整っているとは言えない。

「最近じゃ、国内のどの都市でも代わり映えがしなくなった」としばしば耳にする。ここに暮らしてみて、それは事実でもあり、また事実ではないと感じる。

わずか10年前、この地域の人々は家に出たネズミを捕まえて食べていた。
茹でて食べるそれは絶品であったと聞いた。肉がまだまだ貴重な時代の話である。今では、大通りには携帯電話販売店やハンバーガーショップが軒を連ねる。確かにゆるやかな経済発展をしているが、爆発的な発展を望める要素が無く、どこか停滞した空気を感じる。

新宿~大久保。
黄色い電車に揺られる数分の距離が、確かに私の人生であった、時期があった。歌舞伎町の雑居ビル・多国籍な看板・高架橋。開かれたような閉じられたような雰囲気の街。
そんな懐かしい風景を、この夏の終わりにこの街で見た。

車で10分の場所に、古びた映画館がある。およそ200席ほどのこじんまりとしたシアターで、座席の下には飲み物のゴミが散らかっていた。

お客は私と現地人の同僚のふたりのみ。このような場合は、客が自由に上映タイトルを選ぶことできると教えてもらった。

上映タイトルは『天気の子』。

日本語の台詞と音楽。破綻の無い字幕。

「新宿は曇天と雨のイメージがあるな。」
「金曜日の夜は、よくこの一駅を歩いたな。」
「この裏路地は、あの人と歩いたな。」

なんて懐かしがったり、赤面したりしながら見た。
映画館が暗くて本当によかった。

私が新宿で働いていたのはほんの数年。
悩み多き日々のなかでも、多くの潤いがあったのだなと振り返った。

働き始めた時、私は新人で、地理も含めて右も左もわからないところから始まった。そしてたくさんの出会いがあり、想い出ができた。その一つ一つが今の仕事につながっている。

この国での暮らしも、いつかそんなふうになったら、と願う。

最後に。
こんな異国の山奥までも作品を届け、感慨を与えてくれるプロ達の仕事にはぐっ、と背筋が伸びる思いである。こちらでは、そのレールの横をトコトコと歩いている。

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