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病休取ったら人生が動き始めた話

はじめに

教員としての人生が生きづらい。
でも、動き出すのが億劫。
でも、こんな人生をあと何十年も続けたくない。いや、きっと続けられない。
でも、覚悟が決まらない...
そんな方に一歩踏みだす勇気をお届けできますように。

病気休暇を取得した経緯

初任の頃から8年間、この仕事に対してモヤモヤを抱えていましたが、なんだかんだでここまで続けてきました。
でも、ようやく「教員を辞める」という覚悟ができました。
きっかけは、体育祭でのある出来事です。
この出来事は私の心に一生の傷を残しましたが、今となっては良い意味で人生の転機となりました。
少々長くなりますが、お付き合いください。

私が勤務している中学校の体育祭は、縦割りでチームを組んで競う形式になっています。
そのチームは、各学年2クラスずつ、合計6クラスで構成されています。
もちろん、担任は自分の受け持っているクラスが所属するチームに加わります。
このような形式で、いくつか種目を行い、結果を競います。
私が教員を辞めるきっかけになった出来事は、「綱引き」の最中に起こりました。

※地面には中央線が1本と基準線が2本

綱の真ん中に目印が付いていて、その位置に中央線が引いてあります。
その目印を制限時間内に各チームの基準線まで引っぱることで勝敗がつきます。
もし、互いの力が拮抗し、制限時間内に基準線まで引ききることが出来なかったら、その目印の位置が、どちらのチームの基準線に寄っていたかで勝敗が分かれます。
また、2チームが競技をしている間は、その他のチームは観戦できる状況です。
私はこの綱引きにおいて、全ての試合で主審を務めました。

その事件は、私の所属しているチームが競技する試合で起きました。
両チームは制限時間が過ぎてもそれぞれの基準線に綱を引ききることができなかったので、前述の通り、どちらのチームの基準線に寄っていたかで判断しなければいけない状況でした。
正直、目印の位置が中央線に限りなく近かったため、私は雷管が鳴った時に即座に判断できませんでした。
そのため、両チームにはその場で待機してもらい、私の後ろで試合を見ていた他の教員と協議をしました。
その間に、私が所属するチームではない方のチームの方に綱が引っぱられ、目印の位置が少し動いてしまいました。
私は目印の位置を元に戻すために、逆方向、つまり、私の所属するチーム側に綱を引っ張りました。
協議の結果、私の所属するチームが勝利となりました。

しかし、協議中の光景を見ていた観戦チームから、
「あいつさっき自分の方に引っ張ってた」
「審判なのにズルすんな」
などとヤジが飛んできました。
とは言え、この時はまだ私の精神状態は安定していました。

しかし、お昼休憩の時から私の精神は徐々に崩壊していきました。
お昼ご飯を食べに教室に戻ると、その近くの廊下で
「あいつマジキモい」
「卑怯までして勝ちたいか」
というような明らかに私に悪意を向けて話している声が聞こえてきました。
中には、怒りの感情をコントロールできず、廊下から長時間大声で私に対する悪口を叫んでいる生徒もいました。

そして、午後の部が始まり、全ての種目が終わりました。
結果は、私の所属するチームが優勝
それに加え、全競技において、私のクラスが学年優勝
私のクラスにとっては、完全勝利となりました。
しかし、私は手放しで喜べませんでした。
なぜなら、他チームの生徒からのヤジがさらに激しくなったからです。

私のクラスの生徒たちは、練習の時から本気で行っていて、最高記録を日々更新していました。
また、結果だけでなく、運動が得意ではない子に対する配慮も自分たちでできるような心温まる集団でした。
だからこそ、担任としてたくさん褒めたかったし、感謝の気持ちを伝えたかった。涙を流しながら共に勝利を喜び合いたかった。

でも、「優勝」を告げられた時、
「マジか…」
と思ってしまったのです。
いっそ、負けた方が楽になれるのに」
とも思ってしまいました。
その時の私は、優勝という結果に対する喜びよりも、これからやってくる罵詈雑言を浴びる日々に対する不安の方が圧倒的に大きかったのです。

この日は、今までの人生の中で経験したことのないようなキツイ1日でした。
それは、放課後に入ったトイレの個室で、首を吊ろうか考えてしまう程でした。
とは言っても、それはただの一瞬で、すぐに妻と子の顔が頭に浮かび、何事もなくトイレを後にしましたが…

案の定、翌日以降、他のクラスの生徒から
「ズルをしたやつ」
「卑怯者」
という声が聞こえてきました。
体育祭当日のお昼に廊下で叫んでいた生徒は、休み時間はもちろん、私の授業中も悪態をつく次第でした。

私が担任をしているクラスの生徒からは、
「あいつ、恥ずかしくないのかな?」
「あいつの言っていることなんて気にしたら負け」
などと言ってくれました。
また、他のクラスの生徒からも、
「あんなこと言っているのはほんの一部だから気にしないで大丈夫」
と声をかけてくれました。

確かに、日常的に私に対して暴言を放ってくる生徒はその生徒一人でしたが、その攻撃力が予想以上に強すぎたのです。

そのため、
「この角を曲がった先に彼がいたらどうしよう…」
「この教室を出て彼と会ったらどうしよう…」
というような今まで考えもしなかったことを考えるようになりました。
一応、校長にはその件を相談しましたが、他の教員から指導がされる訳でもなく、特に何も進展しませんでした。

ついには、夜も寝られなくなり、手に痺れが出る程になりました。
もう限界でした。
そのため、私は人生初の「病気休暇」を取得しました。

本気の転職活動開始

初めのうちは、私の代わりに担任業務や授業をしてくださる方に申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、同僚の先生方から温かいお言葉をたくさんいただいたおかげで、あまり気にならなくなりました。

また、せっかくの時間を有効活用するために、長年考えていた「転職」を実現しようと動き始めました。具体的には、
Youtubeで転職活動の流れを調べたり、
転職の軸を固めたり、
転職サイトに登録したり、
転職エージェントと面談したり、
履歴書や職務経歴書を書いたり、
面接の問答を考えたり、
SPIの問題を解いたり…

といったことをしました。
(詳細はまた別の記事でお伝えします❗️)
その中で私が特にお世話になった「サラタメさん」の動画のリンクを貼っておきます。
転職を少しでも考えている方は必見の動画です。ぜひご覧ください。

このように、病気休暇を有効活用して転職活動にフルコミットできたおかげで、転職活動を始めてわずか1ヶ月で、業界業種未経験でメガベンチャー企業から内定をいただくことができました。
(詳しくは入社が確定してからお伝えします❗️)

まとめ

生きづらさを抱えている。
でも、挑戦するのが不安。
なかなか動き出せない。
これは決して変なことではないですし、
不本意でも現状維持をしてしまうことは、
むしろ人間として自然なことです。

しかし、現状維持をしても何も変わりません。
多少生きづらさを減らすことはできるかもしれませんが、無くなることはないでしょう。
仮に現状を変えたとしても、教員時代に抱いていた生きづらさとは異なる生きづらさが現れるかもしれません。
なんせ、今の日本は「サービスは豊かなのに幸福度が低い」世界代表みたいな国ですから。

でも、本気で人生を変えたいのであれば、行動を起こすことがMUSTです。
私は、その行動が病気休暇を取得することでした。
そのレベルから始めても全然いいと思います。
むしろ、教員という国を代表するスーパーブラックな仕事に就きながら転職活動をすることは非常に大変なので、ある程度まとまった時間を確保する必要があると思います。
だから、転職活動をするために病気休暇を取得することは、ある意味得策かもしれません。
ただし、表向きはあくまで精神的にしんどいことをアピールするのが前提です。
可能であれば、自分がいない間に負担をかける方には一言挨拶できるといいですね。
転職活動は水面化で行えば何の問題もありません。

勿論、転職活動をした結果、教員として続けるという選択をすることもあり得ます。
実際、教員一筋でやってきて転職するとなると、年齢はネックになりますからね。
とは言え、転職活動自体は何歳からでもできるので、なるべく早く始めることをオススメします。

生きづらさを抱えていて本気で人生を変えたいと考えている教員の方、
早速転職活動を始めましょう。
年が明けてからではありません。
年が明ける前に始めましょう。

いつかではなく、今。
やろうではなく、やる。
100の決意より1の覚悟です。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました😊

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