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なんとかしなくちゃ。青雲編

恩田陸「なんとかしなくちゃ。青雲編」(文藝春秋、2022年)
読了日:2023年2月8日

最初にことわっておきたいのだが、私は恩田陸先生のファンである。恩田陸が好きすぎるあまり(もちろんそれ以外の動機もあるが)、恩田陸が通った大学に進み、恩田陸が所属していたサークルにまで入った。最も多くの著作を読んだ小説家は誰か、と問われたら、答えはもちろん「恩田陸」である。

中学時代からかれこれ15年近く愛読している。処女作から順番に全著作を網羅しようと意気込んだこともあった(恩田陸の執筆ペースがはやすぎて頓挫している)。『ドミノ』の聖地巡礼で一日中東京駅の周りを歩き、『ユージニア』の聖地巡礼で金沢を自転車で観光し(ちゃんと兼六園の成巽閣にも行った)、『まひるの月を追いかけて』の聖地巡礼で奈良・飛鳥をこれまた自転車で巡り、『月の裏側』の聖地巡礼では福岡・柳川で舟に乗った。こうやって書き起こしてみると、無駄に行動力のある、ちょっと怖いファンである。とにかくここでは、私が恩田陸作品を愛しているということだけ覚えていただければよい。

さて、『なんとかしなくちゃ。青雲編』である。主人公は梯(かけはし)結子。老舗卸問屋の息子と、これまた老舗和菓子屋の娘の間に生まれた四兄弟の末っ子だ。この物語は結子の人生を語る(たぶんこれから続くであろう)シリーズものの一作目で、やや特殊な教育方針と、高校や大学で出会う周囲の人々に影響されながら、彼女がどのように自己を形成していったかを描いている。

本作の特徴はおそらく、語り部が「恩田陸」であることだ。作中で明言している文章があったかどうかは記憶があやふやだが、時折挟まる「私」の情報を総括すると、どうやら「私」は東北出身で、大学では音楽系のサークルに入り、卒業後OLとして働きながら小説家としてデビューしている。つまり、恩田陸なのである。

この作品がいまひとつ私の口に合わなかった原因はおそらくここにある。恩田陸作品の魅力のひとつは、その独特の世界観と空気感にある、というのが私の所感だが、本作は語り部として「本人」がたびたび登場するために作品世界に没入しづらかったように感じる。これはひょっとしたら、私がひとよりもいくらか恩田陸を勝手に身近に感じているせいで、余計に現実世界に引き戻される感覚が強くなってしまった、という側面もあるかもしれない。

もうひとつ、本作にハマれなかった理由として「梯結子と周囲の人々が優秀すぎる」というのもあるだろう。ご存じのとおり、恩田陸作品には優秀で冷静でその上顔もよい魅力的な美男美女がたびたび登場する。では結子は彼らと何が違うのか。ここにも私の個人的な事情が絡んでいる。作中で結子は語り部と同じ某大学に進学する。つまり、語り部を追いかけて入学した私の母校でもある。学部は違うものの、中途半端にリアルを知ってしまっているゆえに、本来感じなくてもよいはずの現実と物語のギャップが雑音になってしまった。

ついでに恥をしのんで申し上げると、境遇が(少しだけ)身近な主人公が、その優秀さを遺憾なく発揮して次々と問題を解決するさまは、私の劣等感を大いに刺激した。そう、どうせここに尽きるのである。自分とちょっとだけ重なる部分のある主人公が、自分よりもずっと賢く生きる様子を読むたびに、私はきっといちいち嫉妬していたのだ。しょうもない理由である。なお、結子が優秀であるがゆえに、少なくとも『青雲編』では大きなピンチや挫折は描かれない。山も谷もなく結子が成長していく様子を描いているだけだったために、余計にもやもやしてしまった部分もあるだろう。もはやただの悪口になってきてしまった。良くない。

そんなわけで、本作は口に合わなかったわけであるが、口に合わなかった上に山も谷もなかったにもかかわらず、ごにょごにょ言いながらも読み切ってしまったあたりに恩田陸の筆のうまさを感じる。私は影響されやすい人間なので、結子が作中で習う茶道に興味を惹かれたし、結子が大学のサークルで「戦国時代に堕ちた城を守るためにはどうすればいいか」を議論する様子に「もしかして日本史っておもしろいのかも」と思ってしまった。完全に著者の手のひらの上である。続編で結子にピンチや挫折が訪れ、今回よりも共感のできるキャラクターになっていたら、きっともやもやしたことなど忘れておもしろく読んでしまうだろう。というわけで、続編を気長にお待ちしております!

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