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没頭したい。もっともっと。【愚痴ですまんけど】

ここ半年ほど、こればっかり考えている。自分の欲望を投げ込める場所がほしい。精神的に充足できる状況に身を置きたい。そこに、ずっと浸っていたい。

そこまで焦がれるの、なんでや?

退屈が嫌いだ。暇があるのに、楽しく過ごせないことが息苦しい。
この息苦しさを明確に覚え始めたのは、たしか高校生の時からだった。当時の俺は進学校に通っていたのだけど、お世辞にも楽しくて居心地のいい学校生活を送っているとは言えなかった。授業のレベルが高くて、頑張ったところで成績の伸び悩みは覆せなかった。頑張ること自体がしんどくて、短期的なものはまだしも長期的な努力ができるほどのスタミナもなかったし。

報われない努力を繰り返すにつれ、劣化してゆくモチベーション。時間と共に薄れてゆく学校への、クラスメートへの帰属意識。それらから逃れたくて退学を選んだとて、その先の未来が想像できない恐怖で決断もできないという板挟みに陥る。

このまま卒業するまで何かに打ち込むことも、どこかに居場所を見出してホッとすることもできず、宙ぶらりんの気持ちを持てあましながら時間を無駄にしていくんだな…。
その気持ちが、当時感じていた退屈の中身だったのだろうと、10年越しに思いを馳せてみる。
そんな中、退屈を忘れられる時間があった。何かに没頭している間。マンガを読んだりゲームをしている時。風呂で好きな歌を口ずさむ時。
生活を送っている間のこの時だけは、退屈を忘れて安心感、高揚感を摂取することができた。これが没頭にこがれている理由だと、今のところそう思っている。

退屈という泥沼にハマり続けた反動で、「もうあそこに戻りたくはない」と拒絶反応が刷り込まれているのかもしれない。だって苦しかったし。無力感も虚無感に晒され続けるの辛かったし。麻酔を食らった胸の奥が一部握りつぶされているのかと感じるくらい、息苦しさと不快感の同居を感じ続けていた。
だから、あの時損なわれ続けてきた帰属意識とか承認とか、自己実現とかを補いたい。そう思っているのかもね。

当時は内省や言語化ができるほど知能が発達してなかったし、経験もないせいで先を想像することさえままならなかった。
でも、今なら。自力で金を稼ぐことを覚え、神経に障る人間から離れられることを知り、人間の群れは多様に広がっていることを経験した今なら。退屈を遠ざけ、足りなかった栄養を補えるかもしれない。

やっていきてぇなァ〜。あの頃の自分に、「その苦しみ、今だけだからな。あとで報われるからな」って言ってやりてぇわ。

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