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手元の価値観を辿る。大切なものをえり好む。2020年9月8日【特にオチのない日記】

 こんにちは。あいもかわらず、明日の朝に日記のリライトをする生活リズムに慣れてきました。整えて書けるまでは練習が必要ではあるけれど、それは未来の自分に丸投げしていきたい。開き直りでも醜くてもいい。毎日続けられれば、いずれはなんとかなるくらいの解像度のほうが、よっぽど生きやすいことでしょう。それでは今日も書いていき。

一日の記録

〜12:00
・おはようございます(7:40起)
・朝ごはん。キャベツ、ニンジンサラダ。
・仕事開始。週をまたいで溜まっていた作業がようやく終わりそう。

12:00〜19:00
・昼ごはん。神田のビーフカレー(レトルト)とサラダ。
・仕事再開。販管部署から異動してきた人に、事務作業で必要な手続きについてヒアリングをした。部署ごとに情報のやり取りの仕方が全然違うらしくて、これから手続きについて深堀ぼっていくのかぁ、気の長い話だなぁと思うなどした。
・仕事中、買取業者に送った遊戯王のカードについて、査定結果が返ってきた。今回は金額を度外視して、要らないカードを買取ってもらう体験をしてみた。200枚近くあったカードの合計金額は480円。二束三文である。
 発送から一週間近く経って査定が済んだあたり、思っていた以上に時間がかかることと、本当に送料なしで設定した口座にお金が支払われることがわかった。今度、メルカリで売れ残ったカードを送ってみたいと思う。

・仕事をする上で使うTeamsの不便なところがあらかた分かってきた。主に煩わしさを感じるのは、保管されているファイルを開くとファイルによってはエラーになって開けないこと、グループチャットと一般的なチャットを、スイッチする際にボタンの押下で切り替えないといけないこと(しかも、過去のスレッドを漁ってから別の窓へ行って戻ってくると、スクロールをもう一度する羽目になる)、外部ウィンドウ表示させたチャット画面では、メンションができないことの3つ。Slackのようにチャットの種類によらず操作が同じで、ブラウザでも扱えたら良いのにと思わずにはいられない。特に、急いで作業をしている時ほど。もう少し快適な操作ができないか、明日以降調べておきたい。ここで備忘録としたい。

19:00〜
・仕事終了。
・夕飯は、ナスの味噌炒め、キャベツ、大根干し、きゅうりとごま油あえ、味噌汁、白米。トロトロになったナスの優しい味わいがクセになる。
・食後、プランク20秒、スクワット20秒、腕立て伏せ30秒を2セットした。ゆっくりした動作で体を支えるほうが、回数を稼ぐよりも負荷が強いことがわかったので、今後もこのセットを続けて行きたいと思う。プランクと腕立て伏せの間にスクワットを挟めば、腕の回復を自然とできるのは、なかなか良くできていると思った。
・風呂に入ってる間、子供の頃にはカードを手放すこと、捨てることに対してものすごく抵抗感を感じていたのを思い出した。あの頃は手元にあるカードは自分の努力やこだわりで集めた自分にとっての半身であり、それらを捨てることと「カードを集めた自分の価値観や考え」を否定することをごっちゃにしていたのだ。
 でもいつからか、自分にこびりついた無駄を取り除き、残したものに対してよりリソースを割く余裕を作る大切さを理解できるようになった。カードを取捨選択していく中で、自分に与えられた資金やカードを保管するスペースには限界があることを知れたし、「その中でどのカードを残せばデッキの戦力が衰えないだろうか?」という問を幾度となく自分に投げかけていた。その答えが「いらないカードを手放す」であり、「余計なカードを買わない」であり、「手元のカードでコスパよく強いデッキを構築するための情報を事前に集めてから買いに行く」だった。
 手元の資源をやりくりして最適解を見出そうとする試みが隠れていたのだ。これも、レヴィ=ストロースが言うところの「プリコラージュ」と言うやつなのかもしれない(本書ではあまりボリューミーに書いてはいないみたいだけれど)。
・入浴後、お絵かき配信のインフラを整えた。これまではツイキャス単体で配信をしていたものの、多く人にの目にとまるようにできなかった。今よりも承認欲求を満たしたいし、創作の技量も上げたい。ということで、Periscopeを使ってiPadの画面をパソコンに映しつつ、配信をするための準備を試みる。

当初はキャプチャーボードを仲介させてみたものの、
なぜかモニターもiPadも認識しなかった。。
リトライしたら、状況は変わるだろうか?

本日のまとめ

 過去に大切にしていた価値観が、いずれは変化して不要になることについて思いをはせた一日でした。最近夢中になって楽しんでいるものも、歳を取れば無価値でつまらないものになっていくのかな。それは寂しくはあるけれど、新しい刺激や適応を求める上で仕方のないことであり、ある分野に関して一定以上に精通したからこそ、つまらなく感じているようになったと捉えることもできます。どうせ手元にあるものがいつか陳腐なものになるのなら、新しいものにどんどん触れ合ったほうが精神衛生上いいでしょう。それに、一度捨てたものも後になって新しい魅力を感じることだってあるわけだから、「また会おうね」っていうノリで自分が抱えている考え方を棚卸していきたいなと思います。

なんだかんだ続けられることにホッとしている自分がいる。
「記録をつけることが大切だ」っていう意識も、
いずれ変わっていくんでしょうね。

 それでは今日はこのへんで!ここまで読んでえらい!

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