見出し画像

誕 2024/8/21

 出産予定日の8/20から妻は入院し、陣痛促進剤を用いての誘発分娩へと進んでいた。当日朝、入院直前から高位破水の状態となったため、少なくとも「帰宅して様子見」にはならないことが確定した。
 その日は子宮口が開かず、翌日も継続して処置していくこととなった。

 翌日、朝から促進剤の投与。子宮口が開いてきたため、あとは陣痛が起これば…という状態になってきた。

 点滴中は絶食で、妻は朝からずっと何も食べていなかった。このままだと晩御飯も食べられるか怪しい、ということでコンビニで食料を買って差し入れた。面会は厳しく制限されているが、差し入れは比較的自由にできる。

 15時過ぎ、子宮口全開になったとのことで再度病院へ向かう。

 立ち合い出産を希望していたのだが、17時までの出産でなければ立ち会えない。とりあえず病院の駐車場で待機。

 時折進捗の連絡は来るものの、結局17時には間に合わず。立会できるかどうか?という緊張感がなくなったので、車のシートを倒してリラックスしながら次の連絡を待った。

 18時半ごろ、産まれたとの連絡が来た。妻からの電話で、元気そうな声だったのでひとまず安心した。

 出血などの処置に時間がかかったようで、俺が病院内に入れたのは19時40分ごろだった。初めてのご対面。

娩出から1時間経っていたのであまりシワシワでもなかった

 産まれていた。妻は無痛分娩だったので痛みは全くなく出産を終えられたらしい。よかったね。

 新生児ってこんなに大きかったっけ?と思ったが、生後0日の赤子を目前にするのは初めてなのだから、俺の感覚の方が間違っている。

 事前の予想通り、自分の子を初めて見て涙が出るとか感極まるとかは特になかったが、1年前には存在すらしなかった生命体が、10か月ほどの間にここまで複雑な形となって世に出てきたことが感慨深かった。

 口をパクパクしたり、手足を曲げ伸ばしたりしている。時折小さな声を上げたりもするが、泣いてはいない。

 その動作はどれも意味や意図のないものだ。まだ自我すらほとんど持っていない生き物。

 今後良くなっていくとはとても思えない世界に、親のエゴで産まれてこさせたことは申し訳なく思う。でもまあ、悪いことばかりではないからさ。


 「親が孫の顔を見せろと言ってくる」系のやつ、親の気持ちがなんとなくわかったかもしれない。いや、俺は言われたことはないのだけど。

 人が子供を持ってもいいと思うのは、人生には良いこともあると思えるからだ。自分の人生の肯定だ。

 自分の子の人生が良いものであってほしい。自分が育ててきた道が間違ってなかったと言ってほしい。そういう気持ちが「孫を見せろ」に繋がるんじゃないか。

 今、ペット(愛玩動物)に例えてわかりやすく話をしようかと思ったけど、さすがに反感を買いまくる文章だなと思ったので削除した。

 そういう自制心はある。人の親になったから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?