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  • 良聞居「小野弘・別府歴史講座」

    大分県別府市にある古民家「良聞居」にて月一で開かれている歴史講座のレビュー資料です。

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最近の記事

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別府市中心部の温泉(明治期)

    • 金山だったラクテンチ (2016.07.25)

      あちこちに金山の名残が あのラクテンチが、実は明治36年(1903)に木村久太郎という人が始めた金山だったと聞けば、多くの人が驚くだろう。 木村久太郎  その理由の一つは、金山に限らないだろうが、鉱山は人里離れた山の奥に存在するというのが一般的なイメージ。それが別府のメーンストリート、流川通りを一直線にさかのぼった突き当たりにあるというのだから、何とも意外だ。  とはいえ山のふもとには、金を掘った坑道あと(大きな岩で入口は封鎖されているが)があったり、山中には坑道が

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        浜脇の温泉

        • 白蓮・武子と赤銅御殿 (2017.03.26)

          今も赤銅御殿惜しむ声 「赤銅御殿(あかがねごてん)が残っていれば……」とは、今でも別府でしばしば語られる言葉だ。  大正3美人の1人に数えられる美貌の歌人、柳原白蓮=やなぎわらびゃくれん、本名燁子(あきこ)、1885―1967=。柳原前光伯爵の次女で、大正天皇の従妹に当たる高貴な生まれだったが、明治44年、25歳も年上の筑豊の炭鉱王、伊藤伝右衛門(1861―1947)と再婚する。その伝右衛門が、妻のために大正3年から5年にかけて建てたのが伊藤別荘。別府の市街地から離れ、当時と

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        別府市中心部の温泉(明治期)

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          昭和十三年 別府市電話番号簿

               ア之部 アカカベ小間物店 溝部猶平 37 中浜 化粧品商並美粧部 アサヒビヤスタンド 1347 流川二丁目 喫茶ト食事 アサヒ印刷社 平原幸一 1523 曙通 アベ細菌研究所 472 太呂辺町 あこや楽器店 594 中浜筋一丁目 あさくの紋本店 朝久野起志夫 246 流川通り 別府絞温泉タオル あずまや桝田照雄 1228 竹瓦 旅宿 あぶらや 安部唯次 547 秋葉通 和洋酒乾物商 ありたや本店 野口徳次郎 1452 中浜通三丁目

          昭和十三年 別府市電話番号簿

          昭和五年 新年祝賀会出席者名簿 別府市

          ●大阪商船株式会社別府支店(一三名) 有馬敬助 松永栄吉 神田半蔵 大竹静夫 銅直澄太 今西喜次郎 吉田弥三郎 藤沢武重 中野正雄 大石直 井手野武一 片山半市 屋田友治 ●九州新報別府支局(二名) 有田耕也 佐々木仙洋 ●蓮田尋常小学校(一四名) 佐藤毅一 佐藤祥三 堀隼人 佐藤義光 安東武夫 立川長喜 下谷忠 芦刈保 高橋芳雄 大庭豊樹 荒金良士 山崎瀁涛 西村武司 利光益夫 ●別府土地株式会社出張所(四名) 山本藤助 山本繁蔵 多田市郎 水野和一郎

          昭和五年 新年祝賀会出席者名簿 別府市

          オダサク(織田作之助)と別府の深い絆(2017.09.29)

          戦前の流川通りを描いたオダサク  大阪が生んだ作家、織田作之助(1913〜1947)と別府の絆はとても深いように思われる。まずは何と言っても、戦前の流川通りを舞台にした数編の作品の存在だ。 流川通を真っ直ぐ海岸の方へ、自動車は真昼のように明るい街の灯の中を走って行った。流川通は別府温泉場の道頓堀だ。カフェ、喫茶店、別府絞り・竹細工などの土産物屋、旅館、レストラントが雑然と軒をならべ、そしてレストラントの三階にはダンスホールがあった。妖しく組み合った姿が窓に影を落して蠢いて

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          オダサク(織田作之助)と別府の深い絆(2017.09.29)