オダサク(織田作之助)と別府の深い絆(2017.09.29)


戦前の流川通りを描いたオダサク


 大阪が生んだ作家、織田作之助(1913〜1947)と別府の絆はとても深いように思われる。まずは何と言っても、戦前の流川通りを舞台にした数編の作品の存在だ。

流川通を真っ直ぐ海岸の方へ、自動車は真昼のように明るい街の灯の中を走って行った。流川通は別府温泉場の道頓堀だ。カフェ、喫茶店、別府絞り・竹細工などの土産物屋、旅館、レストラントが雑然と軒をならべ、そしてレストラントの三階にはダンスホールがあった。妖しく組み合った姿が窓に影を落して蠢いていた。(昭和21年「湯の町」)

 道頓堀に見立てた、夜も煌々と明るいメーンストリート流川通りを背景に、落ちぶれて別府に来て易者をしている男は、かつて大阪でキャバレーの女給を争った恋敵に遭遇しなけなしの金でコーヒーをおごったり(昭和16年「雪の夜」)、高級娼婦と恋に落ちた大阪の記者は、結局彼女の手管にまんまとはまったことに気づいて鼻白んだり(「湯の町」)と、温泉地ならではのストーリーが展開されていく。

織田作之助が道頓堀に見立てた昭和10年頃の流川通りの絵葉書



夫婦善哉モデルの姉ら別府へ


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