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「独白」

キリへ

拝啓 寒さの厳しい季節になりましたがいかがお過ごしでしょうか。と言ってもつい先ほどまで一緒にいたので元気だとは思いますが。

2月25日17時27分、僕は今、東京に向かう飛行機の中でこの手紙を書いています。離陸中に書いていたら、大きく揺れて宛名の字が歪んでしまいました。
ありきたりな文章ですが、僕から貴女に送る最初の手紙なのでちょうどいいでしょう。

貴女と付き合うことになってからもうじき三年になりますね。
せっかくなので、思い出話でもしましょうか。
この三年間二人でいろんな場所に行きましたね。水族館や動物園、展覧会に行ったことも何度かあったかな。お金が無くてあまり遠出は出来なかったけど、どこかへ誘うたびに貴女がにこやかに笑ってついてきてくれたのでとても幸せで、時間も忘れるほどに楽しかったです。帰りたくないと泣いたこともありました。子供みたいで恥ずかしいので忘れてほしいけれど。

「お金がいくら貯まったら結婚しよう」「就職が決まったら一緒に住もう」等と遠い未来の設計図を二人で描くのも楽しかったですね。
絵に描いた餅みたいでとても現実的とは言えないものだったと思いますが、「楽しみだね」と笑う貴女を見て、設計図通りに進まなくたって僕たちは幸せに生きていけるだろうと心の底から思いました。


今回貴女を置いて、一人で東京の大学に行くと伝えた時も、貴女はただ微笑んで「頑張って」と言ってくれましたね。
そしていよいよ見送りの時まで貴女はただただ笑顔で僕を見てくれました。
その笑顔に僕はどれだけ勇気づけられたか、癒されたか、こんな僕でも生きていてもいいんだと思わされたかわかりません。キリ、本当にありがとう。

ただ、この際だから伝えてしまいますが、僕はずっと、貴女のその笑顔に怯えてもいました。
貴女がいつだって僕に向けてくれた、やさしく淀みのないその笑顔に。


本題に入りましょうか。
キリ、いや、真壁霧子さん。僕と別れてくれませんか。
返信は必要ありません。ただこれを読んでうんと一度頷いてくれればそれで良いです。

嫌いになったわけでも、誰かに目移りしたわけでもありません。僕はいつも、いつだって貴女のことが好きです。愛しています。
でも僕はもう、貴女が笑顔の裏でどう思い、何を感じているのか答えも出ないまま悩み続けることに疲れてしまいました。
僕はこれまで、沢山の迷惑を貴女にかけてきたと思います。
怒らせてしまうような失礼なことも何度もしたはずだし、僕の心の内のひどく汚れた部分、歪み切った部分もたくさん見せました。
それなのに貴女はただの一度もその笑みを消すことはありませんでしたね。
本当に、ただの一度も。
貴女自身が辛く、苦しんでいる時ですら僕には黙って微笑みをかけてくれましたね。

僕はそれがたまらなく恐ろしいのです。美しく、純粋でとても好きなはずのその笑顔が、貼り付けたシールのように見えるようになりました。
いつの間にか僕は貴女の笑顔の裏を見ようとするようになってしまいました。訊いても教えてくれない笑顔の裏を。
貴女の表情がほんの僅かでも曇ればそこに敵意や嫌悪を感じ取ってしまうように。

分かっています。貴女が僕を信用していないわけでも、感情を隠しているわけでもないことは。
遊びに行けば本当に楽しくて笑い、僕の歪んだ部分も本気で受け入れてくれ、辛い時は心配をかけないようにと笑ってくれていたんでしょう。僕のために。おこがましいようですが、そうなのだろうと心のどこかでは理解しています。
でも僕はあまりにも汚れすぎてしまったのでしょう。貴女の真っ直ぐさを純粋に信じることができませんでした。
きっと裏があるのだと疑ってしまいました。何度も。
こんな破綻した人間と付き合っていても、お互いに辛いだけでしょう。だから遠く離れてしまう今、別れてしまおうと思うのです。

勝手なのも分かっています。ただ、僕はもう本当に耐えられないのです。
僕が何を言おうと、どんなことをしようと貴女が微笑みかけてくれること、貴女がどれだけ苦しんでいようとそれを知ることもできないこと。
そういったわずかなズレ、噛み合わなさに僕たちの惰性を感じてしまいました。お互いを理解することもせず、与えられた初速だけで流れてきた年月ももう限界なのでしょう。
お願いです。僕と別れてください。そしてどうか心の底から笑って、泣いて、怒ることのできる人を見つけて幸せになって欲しいです。


いつの間にか大分長くなってしまいましたが、そろそろ飛行機も着陸するので僕から貴女への最初で最後の手紙はここまでです。
最後まで読んで貰えたでしょうか。もしかしたら泣いていたりするのかな。
またいつか、シールではない本当の表情で会えたらいいな。


敬具

遠野翔より

助けてください。