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地球に漂流してきたエイリアン達について考える

最近キリンジの、エイリアンズとDrifterの関係について考えている。


なんとなく返歌というか、お互いに対応しているような感じがするんですよね。
Drifterの”僕”が世界を漂流・放浪しているような感覚に駆られる中逃げずにいられる理由である”あなた”は、エイリアンズにおいて”ダーリン”に寄り添い魔法をかけてあげようとする”僕”と重なっている...ような気がする。


ひとまず一曲ずつ見ていく。

Drifterについて

​交わしたはずのない 約束に縛られ
破り棄てようとすれば
うしろめたくなるのはなぜだ
人形の家には 人間は棲めない
流氷のような街で
追いかけてたのは 逃げ水

この二箇所から、”僕”はこの世界で生きることにまるで人形の家に棲むような窮屈さ、逃げ水を追うような無為さを感じ、まるで自分がこの世界に漂流してきたかのような疎外感・違和感に駆られているのだと考えられる。だからDrifter。
また、「交わしたはずのない約束」とは世間の常識などの暗黙の了解とされる物事のことだろう。「人形の家」だけでなく「流氷のような街」についても本来自分が住むような場所ではないという感覚の発露だろうか。

たとえ鬱が夜更けに目覚めて
獣のように 襲いかかろうとも
祈りをカラスが引き裂いて
流れ弾の雨が 降り注ごうとも
この街の空の下 あなたがいるかぎり僕は逃げない
欲望が渦を巻く海原さえ
ムーンリヴァーを渡るようなステップで
踏み越えてゆこう あなたと
この僕の傍にいるだろう?

その孤独から逃げ出してしまいたい・本来の場所へ帰りたいという気持ちを抱え苦しんでいるが、実際に逃げだしはしない。
それは、この空の下に自分と同じような辛さを抱えた”あなた”の存在を感じ、共に歩んでくれているような確かな感覚があるからだ。

本当にそんな”あなた”がいるのか、その確証はどこにもないけれど、”僕”は今確かに感じているそんな感覚を信じ、”あなた”が傍にいてくれると信じている。


エイリアンズについて

遥か空に旅客機 音もなく
公団の屋根の上 どこへ行く
どこかで不揃いな 遠吠え
仮面のようなスポーツカーが 火を吐いた

旅客機やスポーツカーを「どこへ行く」「遠吠え」「火を吐いた」と生物的に扱うことで、”僕ら”が世間と少しずれた感覚でいることを表している。だからエイリアンズ。

泣かないでくれ ダーリン ほら 月明かりが
長い夜に寝つけない二人の額を撫でて
まるで僕らはエイリアンズ 禁断の実 ほおばっては
月の裏を夢みて キミが好きだよ エイリアン
この星のこの僻地で
魔法をかけてみせるさ いいかい

”ダーリン”はその感覚のずれ、自分がエイリアンであることに耐えられずにいる。対して”僕”は一貫してのんきだ。どこかそのずれを楽しんでいるようでもある。

禁断の実をかじったことでアダムとイブは楽園を追放されることになる。また、地球上から月の裏を見ることはできないとされている。
このことから、”僕ら”は何らかの原因で本来の星を追われ、二度と帰ることのできない星を夢見ている。ということを表しているのだろう。(夢見ているのは”ダーリン”だけなのかもしれない)
そして月の裏のように届かない自分の星・居場所を求め続ける”ダーリン”に”僕”は魔法をかけてみせる。この魔法は恐らくその辛さを取り除くためのもの。

そうさ僕らはエイリアンズ 街灯に沿って歩けば
ごらん 新世界のようさ キミが好きだよ エイリアン
無いものねだりもキスで 魔法のように解けるさ いつか

恐らく魔法によって街頭沿いの景色が新世界のように見えている。
魔法の正体は「異邦感を取り除く」ことではなく、「異邦のものを楽しむ」というものだったのかもしれない。見ているものは同じなまま、その受け取り方を変える魔法。これによって”ダーリン”の無いものねだりもいつか魔法のように解けるのだろう。


二曲の親和性・対応について

まず目につくのは、どちらも世界に対し疎外感・違和感を抱いて生きている二人を描いているところだろう。

Drifterでは窮屈で空虚な世界に迷い込んでしまったような気でいる”僕”と、同様の悩みを抱えているであろう”あなた”が描かれ、エイリアンズでは自分とは違う星に来てしまい帰りたいと願う”ダーリン”と、どこか遊びに来たように楽しんでいる”僕”が描かれている。

ここで冒頭の話に戻るんですけど、これDrifterの”僕”とエイリアンズの”ダーリン”・Drifterの”あなた”とエイリアンズの”僕”が対応しているんじゃないですか?
”僕”が二人いて紛らわしいので、以降はDrifterの”僕”を”ダーリン”に統一します。


Drifterでもエイリアンズでも”ダーリン”は自分の置かれた境遇(本来の居場所でないどこかに迷い込んでいる状態)を悲観し、苦しんでいる。

たとえ鬱が夜更けに目覚めて
獣のように 襲いかかろうとも
泣かないでくれ ダーリン ほら 月明かりが
長い夜に寝つけない二人の額を撫でて

この二箇所がわかりやすく対応していると言えるだろう。
夜更けに境遇を嘆き苦しむ描写。

また、Drifterではここから逃げ出してしまいたいという気持ちを抱え、エイリアンズでは月の裏を夢見て(届かない本来の場所を夢見て)いる。

その苦しみを取り除いてくれるのは、傍にいてくれる”あなた”だ。
エイリアンズでは魔法をかけ、Drifterでは姿こそ現さないが「傍にいるだろう」という安心を与えている。
この「”あなた”が傍にいてくれるだろう」と言う気持ちこそが魔法の正体なのかもしれない。”ダーリン”は”あなた”が傍にいてくれる限り逃げずにいられるのだから、いずれ苦しみも飲み込み本来の居場所を求めることもなくなるだろう。


僕はきっとシラフな奴でいたいんだ
子供の泣く声が踊り場に響く夜
冷蔵庫のドアを開いて
ボトルの水飲んで 誓いをたてるよ
欲望が渦を巻く海原さえ
ムーンリヴァーを渡るようなステップで
踏み越えてゆこう あなたと
この僕の傍にいるだろう?

もう一つ、エイリアンズでは”僕”は終始”ダーリン”がエイリアンのまま異邦を楽しめるようにしようとしているが、恐らく”ダーリン”はそれを望んでいない。
”シラフな奴”とは恐らく違和感を違和感として感じ続けられることを表していて、この先もずっとギャップに苦しむことになろうがあくまで漂流者・エイリアンとして生きていたいということだろう。そのための支えとして”あなた”を求めている。

いつまでも”ダーリン”は傍らにいる”あなた”と一緒に流氷の街の人形の家で月の裏を夢見ていたいのだ。


終わりに

書き出していったら思ったより対応していると思える点が多かった。
最初はなんとなくそうかも、くらいの気持ちで書き始めたが今となっては絶対にそうだろうという確信さえある。

キリンジの歌詞はどれも面白くて、ただ読むだけで楽しい。
「愛のcoda」の歌詞もかなりいい。オススメです。


曲単体の考察に関しては、ダ・ヴィンチ・恐山さんの考察を参考にしている。といっても読んだのは結構前なのでところどころ違う風になっていると思うが。

有料記事ですがかなり深堀りされていて面白いのでおすすめです。


「ここは○○では?」などの意見があったら教えてください...

終わり。

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