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アスペルガーという支え
アスペルガー!
ポジティブに挨拶みたいに言ってみた。こんにちはー!の代わりにはならんわな。
みなさんはどんなイメージがあるのだろう。共感力がない?協調性かない?一方的なコミュニケーション?
こんなもんだろうか?正直それらが私に当てはまっているかどうかなんて分からない。なぜって私は生まれてこの方ずっとアスペルガーで生きてきたわけで、そうじゃなかった日は1日もない。他の人と比べられない以上、標準も分からなければ他人との差も分からない。
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毎日アスペルガーの私だけど、その前に人間である。この世に同じ人間は一人としていない。X内で同じASDと名乗る人でも「この人の言ってることものすごく分かる!」って時もあれば「コイツ何言ってんの?」と全く理解できない時もあった。また考え方ももちろん違って、内在に目を向けてる人と外側を変えようとする人、人それぞれだった。まぁ当たり前である。
また私がXをやめる直前、発達障害者は嘘をつくかどうかでXで議論になっていた。そりゃつくだろ嘘は。人間なんだから。発達障害者だから嘘をつくんじゃなくて人間だから嘘をつく。これも当たり前のことだ。
ASDと診断を下された私たちは、見えない衣を羽織っているだけだ。ASDという衣を。羽織ってる人間は皆違う。下地は全く違う人間なのだ。ASDである前に人間なのだよ。違って当たり前。
だから主語をデカくして話す人に「私はそうじゃない!!」と腹を立ててる人の気持ちも分からんでもない。だけど、世間一般のイメージや医学基準にまでいちいち噛みつく根拠も私には見つけられない。
医学的にAQ検査で(自閉症スペクトラム指数)足切り受けて診断がついてる身としては、ある程度は人と違うと指摘されることは受け入れていかないといけないと思うからだ。一定の医学的な基準に基づいて診断されているわけだからね。そこを突かれた時に発言の背景を想像せずに「なにおぅ!!!」って突撃する程、私は視野の狭い人間ではない。
私はアスペルガーじゃない自分を想像できない。だからそこに後悔も悲しみもない。むしろアスペルガーは私を構成する大切な要素の一つだと感じている。
支えなのだ。
だって生まれた時から一緒なのよ。この衣。ライナスの毛布だよ。これがなかったら私、今どんな思考してるか分からない。アスペルガーを辞める時は自分が停止する日なのだ。
支えの悪口言われたらムカっとくるのは分かる。でもそこにいちいち噛みついていかず鷹揚に構えていたいと思う。まぁ自分でもよく分かってない事を否定も肯定もできないだけの話なんだけどね。
まぁ視野狭く噛みついていかず、どれだけアスペルガーの自分の日常が楽しさとおかしみに溢れているか伝えていきたいもんだよ。私の支え結構素敵だぜってこれからも言い続けるぜというお話。
※んー最近、文がまとまらんね。
多分季節が悪い!そういう事にしておこう。
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