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やおやで学ぶ、「ま、いっか」の精神

引っ越してきて、一番嬉しかったのが、ターミナル駅至近に住んでいながら、車を5分走らせれば、八百屋にいけることだった。
八百屋の近くには、青果市場があり、新鮮な野菜を、安く仕入れて店先に並べてくれる。同じ野菜でも車で5分ほど離れたスーパーでは2割増しぐらいの値段で売られているので、はじめてスーパーと八百屋の利益構造の違いを知って以来、スーパーで野菜は買えなくなってしまった。
しかし、八百屋には独特のルールがあり、これを理解するまで結構な時間を要した。特に最近は買いだめ傾向のため、週一程度しか八百屋に行っておらず、やらかしてもまた次の八百屋訪問の際にはうやむやに忘れ去られていることが多い。
具体的には、すべての商品の値段は女将の頭の中に入っているようで、すべて会計は手打ちレジで行われる。しかし、商品の後ろにたてかけられた値札と微妙に違うことが多々ある。
また、限界利益商売故に、傷んだ野菜や果物(いわゆるB品)も普通に店頭に並んでいる。でも素人にはB品であるかがなかなか見分けにくい。「小松菜一束50円?!やっす!」と思って飛びついたら、古かったのか冷蔵庫の中でみるみるしおれていったりする。他にも一般感覚からして、安すぎるものにはなにかある場合が多い。割ってみたらスカスカのグレープフルーツとかね‥どーやって食べんねんコレ‥。

慣れるまでは、値段の間違いに気が付かず、子どもを連れてあわてて家に帰ってきて、レシートを見てみたら、なんか店頭の値札と違う‥?というプチショッキングなできごとも多く遭遇したけれど、この八百屋の女将がなんともいえず、面白い性格で、商売上手なため、「ま、いっか‥」と思うようになっていた。
昔から、自分はなかなかに完璧主義で、仕事で間違えたり、傷んだものを買ってしまったりするとひどく落ち込むタイプだったと思う。どうしても「ま、いっか‥」などの気持ちにはなれず、いつまでもクヨクヨ引きずったり、ネットであてもなくつぶやき散らしたりしていた。周りの友だちが、「ま、いっかー!」などといいながら悲惨な点数のテストを持って走っていても、自分には到底できないのである。

あの頃の私は何におびえていたのだろう?おそらく、母親とか、先生、とかではなく、眼の前の現実をうまく受け入れられない自分の心の奥底の性格とぶつかりあうことが怖かったのだと思う。

「ま、いっか‥」は産後の余裕のない家事の中で、自分を慰め、励ます魔法の言葉になった。オムツを洗濯機に投げ込んで洗ってしまったときも、生ゴミ入れに殻を入れるつもりが、卵の中身を割って捨ててしまったときにも、かなり有効だった。

それが最近、八百屋のシステムがリニューアルされ、女将によるレジでの手打ちが合理化された。バーコードの登場である。これで値札と違う、とか同じキュウリに見えるがなぜか3種類値段があって、これはどれに該当するのか‥?とか悩まなくてよくなった。相変わらず女将は値段を口に出してバーコードリーダーにかざしてはいるが、ピッピッという機械音にかき消されている。

いつしか私が、「ま、いっか‥」とつぶやく機会も合理化され、なくなってしまった。もうずいぶんと、八百屋関連ではご無沙汰である。でも、他のことで多少失敗してもクヨクヨしなくなった気がする。なんとなく頭のどこかで、女将の顔を思い出して、ボチボチ生活するのも、悪くないですね。

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