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手漕ぎのボート、人生あれこれ


これはやってみてわかったことなのだが、家庭内において、平日一人育児担当になると、本来あまり得意でない分野でも結構頑張らないといけないことが起こる。例えば、家の中で出た虫を退治したり、スーパーで散々ごねた挙句、歩かなくなった子ども13kgを右に抱え、左手に買い物袋をもってまるで綱渡りのバランスとりのような状態で駐車場を歩いたりしている。

先日近所の公園に行ったときに、湖の端っこにボート乗り場があるのを見つけて、子どもが乗りたいと言い出した。一度言い出したらよっぽどわかりやすく、お子さまにもわかる理由がない限り、却下などできない。

仕方なくお金を払って、子どもにライフジャケットを着せて、ボートの座席に座る。ボートなんて今まで乗ったことがほとんどなく、しかも自分でオールをもってこがないといけないとは。乗り場でもたもたしていると、乗り場のおじさんに竿で湖の中央方面に向かって押し出されていた。もう後戻りはできない。

子どもは散々乗りたいといったわりに、オールをもってバシャバシャさせたあと秒で飽きて、2本のオールは私の元に回ってきた。そっと漕いでみるが全然うまくいかず、ボートが回転する。それはそれで喜んでいる子を目の前に、焦る。何度か1本で練習して焦げるようになったときには、既に制限時間の半分が過ぎていた。

途中すれ違ったカップルはすがすがしかった。各自一本ずつオールをもって、静かな波をたてながら船着き場に戻っていった。2人とも我が子に手を振る余裕もある。この2人は結婚が近そうだな、と予感した。

ようやく少し慣れてきて、ボートを少しずつ漕いで、乗り場とは反対の広い場所に来た。でも、ほとんど風がないのに、自然と流されて、湖ののり面にぶつからないようにする杭に当たったり挟まったりして、相変わらず落ち着きがない。

小学生3人乗りのボートが近づいてきて、わざと波を立てたり大声ではしゃいだりして、もう、明らかに小学生なのに、おじさんはなんでこの3人単独の乗船を許可したのだろうと疎ましく感じる。私の子どもは訳も分からずこのような若いパリピに反応するのである。お願いだから立ち上がらないでくれ。まねするから。
でも、すれ違う時に大きな声で「こんにちは!」と3人から挨拶を受けた途端、余裕のなさとモヤモヤから下を向いてしまい、はっきりとは挨拶できなかった。小学校では、こういう大きな声で挨拶できる子が「良い子」なんだよな。場面緘黙でほとんど下を向いて過ごしていた自分とは正反対の世界線に反論の余地はなさそうだった。挨拶はしっかりしなさいよ、と頭の中で声が聞こえる。

終わりの時間が近づいてきて、乗り場へゆっくりと向かう。気がつけば、方向転換も上手くできるようになっていた。でも、オールを手放すと、左手の親指の皮が小さくめくれあがっていた。これは子どもと手を握ったり、料理をする分には問題ないのだけれど、水に触れた瞬間、ヒリヒリして、なかなか治りが悪いやつだ。

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