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【エッセイ】朗読の呼吸

僕は、小学生の頃、国語の授業が好きでした。テストの点数は良くなかったけれど。

小説や詩の朗読が特に好きでした。

あの、クラスの中で順番に読んでいくやつ。段落ごとに読む人が変わる。最初の朗読者は、日付と同じ数の出席番号の人が指名されることが多かった。

ーーあと5人で僕の番だ。読めない漢字はないかな?詰まったりしないかな?
不安になりながら、僕は自分の朗読する段落を確認する。

順番が近づいてくる。前の席の子が立ち上がって読み出すと、ドキドキしながら目で文章を追います。ついに僕の番。スッと息を吸って、ゆっくりと朗読します。

セリフがあると心を込めて読めたし、登場人物によって少し声色を変えたりもした。

演劇とは違って、恥ずかしがらずにできたし、セリフを記憶することに精一杯にならずに済んだのも良かった。

僕には好きな詩がありました。

「わたしが両手をひろげても
 お空はちっとも飛べないが

 飛べる小鳥はわたしのように
 地面をはやくは走れない。

 わたしがからだをゆすっても
 きれいな音は出ないけど
 あの鳴る鈴はわたしのように
 たくさんな唄は知らないよ。
 
 鈴と、小鳥と、それからわたし、
 みんなちがって、みんないい。」

(『わたしと小鳥とすずと』より引用)

有名な金子みすゞさんの詩。小学生の僕は、人と鳥が互いに認め合う姿が大好きでした。

ある時、僕がこの詩を朗読したら友達に言われました。

ーー鮎太くんが読むと、詩が違って聞こえるよ。「お空はちっとも飛べないが」から「飛べる小鳥はわたしのように」までをあんなに時間をあけて読むんだもん。

僕は驚きました。たしかに僕は、5秒か7秒くらいの時間をあけて朗読しました。だって、友達が指摘した部分は僕の中では、当然空白があると思い込んでいたんです。何でって言われても困るけど。

いまにして思えば、きっとその空白に僕の呼吸が詰まっていて、その呼吸を感じた友達は、「詩が違って聞こえる」って言ってくれたのだと思います。

静まり返った教室で、ひとり文章を朗読する。幸福な時間でした。

読む人によって違う呼吸、スピード、間の具合。

あぁ。朗読、楽しかったなぁ。


最後に少しだけ。

なんと僕の作品を、ピリカさんが朗読してくださいました!とても嬉しいことです!自分の書いた文章が、言葉になる。恥ずかしさでむずむずしながら聴かせていていただきました。
終わってからのこーたさんとピリカさんのアフタートークも温かく、面白いです。ぜひ、聞いてみてください!


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