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梨泰院という街

時間が経ってしまったが、10月の終わりに韓国の梨泰院でとても痛ましい群衆事故が起きてしまった。

158人が亡くなる非常に大きな事故で、それも狭い路地に人が密集した、ただそれだけによる事故でこれだけの死者数になるというのは改めて群衆雪崩の恐ろしさを感じる。

亡くなられた方に哀悼の意を表し、負傷された方の1日も早い快復を願う。

さて、私は1996年、1997年に韓国で住んでいたことがあるので、その頃の梨泰院を思い出してみる。

私の中で梨泰院といえば、革製品の街、そして米軍基地に近く、アメリカナイズされた店も多く、それを目当てにしたようなバーなどもある。
一時期、ちょっとはまって散財したこともあった。(ちょっと変な男に因縁をつけられて追いかけられたこともあった)

数年前にヒットした梨泰院クラスのような韓国の若者が集まり、挑戦をするというイメージはおそらく最近のイメージで、私の中にはそのようなイメージはない。

メイン通りの北にもう一本通りがあった記憶もない。
相当昔だから今はすっかり変わったんだろうな。
当時は地下鉄も走っていなかったし。

まだ梨泰院で買った革のコート持ってますね。
さすがにもう来てはいませんけど。

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